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1991年9月16日─もう一つのフィリピン独立記念日

 1991年9月16日、フィリピン上院周辺は、まるで独立宣言を行ったかのような熱気に包まれていた。この日、フィリピン上院は在比米軍基地存続を盛り込んだ「米比友好協力安保条約」を反対多数で否決したのである。採決に当り、ウィグベルト・タニャーダ(以下、W・タニャーダ)上院議員は声をからして訴えた。
 「最後のアメリカ軍機がわが領空から飛び去り、最後のアメリカ戦闘艦がわが水平線から姿を消す情景は、われわれを大いに奮い立たせるだろう。自らの運命を自らの手にする時がついにくるのだ」
 ウィグベルトの父で、一貫して在比米軍基地撤去のための運動を続けてきたロレンゾ・タニャーダ(以下、L・タニャーダ)元上院議員は、93歳という高齢で透析を受けていたが、「透析などいつでもできる。私はこの歴史的瞬間に立ち会いたいのだ」と、妻の反対を押し切って、車椅子で議場に現われた。
 こうして、フィリピンのスービック基地とクラーク基地から米軍は撤退した。対米追従派が強調しているように、その後中国はスプラトリー諸島(南沙諸島)など、この地域でのアメリカのプレゼンスの後退を埋める形で、そのプレゼンスを拡大したかに見える。しかし、在日米軍基地があるにもかかわらず、尖閣諸島問題は起きた。
いずれにしろ、民族自決を尊重する立場に立てば、在比米軍基地をそのまま置いておいた方がよかったとは言えない。 続きを読む 1991年9月16日─もう一つのフィリピン独立記念日

高倉健という生き方

高倉健 平成24年9月8日放送の「高倉健 プロフェッショナル 仕事の流儀」を視た。映画『あなたへ』の撮影現場に密着して、高倉の素顔に迫ったドキュメンタリー。
俳優の世界に限らず、政治を含めあらゆる職業が、ノウハウやテクニックに流され、最も重要な人間性を忘れがちな今日、高倉の生き方を手本にしたい。
青年時代、『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズなどの任侠映画で人気を博した高倉だが、「俳優とは何か」を問い直す過程で、昭和51年、45歳のときに東映を退社してフリーとなった。以来、納得できる映画にだけ出演するようになる。
昭和52年の『八甲田山』以来、高倉は、多くの「自分の持ち分を全うする男」を演じてきた。『幸福の黄色いハンカチ』『南極物語』『鉄道員』など、日本中の心を震わせる感動作の誕生は、「生き方が、芝居に出る」と肝に銘じてきた高倉の生き方と一体化した役作りの賜物である。
高倉は俳優として、テクニックよりも、日々ストイックに、全うな生き方をすることで、自分の人格を磨いてきたのではないか。彼が、木村久迩典『男としての人生―山本周五郎のヒーローたち』を愛読しているのも、なるほどと思わせる。義理がたく、人情が厚く、筋を通すという、高倉に対する周囲の評価は、その一面をとらえたものである。
高倉は、映画を通じて「こんな生き方があってもいいのではないか。それを見せたい」と語っている。
高倉の演技は文字通り、魂による演技だ。彼は演じる時、何より「自分の心によぎる本当の気持ち」を大切にするという。心をよぎった本物は、自然とにじみ出ると信じるからだ。
最高の演技は一回しかない、だから全身全霊で一度の本番にかけるという高倉が語る「一度きりを、生きる」という言葉には、ずしりと重みが加わる。

崎門学(尊皇派)研究書の書棚より


近藤啓吾著『山崎闇齋の研究』續神道史学会、昭和61年
近藤啓吾著『續 山崎闇齋の研究』神道史学会、昭和61年
近藤啓吾・金本正孝編『浅見絅斎集』国書刊行会、平成元年
近藤啓吾著『淺見絅齋の研究 増訂版』臨川書店、平成2年
近藤啓吾著『若林強齋の研究』神道史学会、昭和54年
近藤啓吾著『續 若林強齋の研究』臨川書店、平成9年