「垂加神道」カテゴリーアーカイブ

明和事件の真相─「大弐が幕府に恐れられた理由」『月刊日本』2013年9月号

『月刊日本』の連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」で山県大弐『柳子新論』を取り上げています。
2013年9月号には、「大弐が幕府に恐れられた理由」と題して、大弐が死罪となった明和事件の真相について迫りました。

村岡典嗣「垂加神道の根本義と本居への関係」(大正14年)

『本居宣長』を著した村岡典嗣は、大正十四年に「垂加神道の根本義と本居への関係」と題して次のように書いている。
「……文献学を離れて神道一途について見ると、本居のその方面の言説や思想や態度には、垂加神道と多少の類似や共通が認められる。まづその神道信仰の要素であった、神代伝説中の神々や神々の行動の記事に対する解釈を見ると、記紀その主としたところは異ったが、例へば造化神を人体神と見る事、二神の国生みをさながらに事実と見る事、天照大神を日神にして同時に皇祖神と見ること等、いづれも相同じい。而して、かくの如きは、概ね神典の記事に対する信仰的態度の自然の結果と考へられるが、而もその態度の源である神道信仰の宗教的情操そのものに於いて、両者頗る相通ずるものがある。本居は儒教神道を攻撃するとて、体ある神を尊み畏れないで、天を尊み畏れ、高天原を帝都で天でないとし、天照大神を太陽でないとし、神代の事をすべて寓言として説かうとし、又不思議の存在を知らないですべて理論を以て説かうとする類ひを、漢意として挙げて攻撃したが、これらはいづれも、新井白石等の史学派の神典解釈や、熊沢蕃山等の寓意的解釈や、更にまた多少とも惟足や延佳の説にも当るが、ひとり垂加神道の説に対しては、そのいづれも当らぬ。神を人体とし、高天原を一方に天上と解し、天照大神を太陽とし、神代紀の記事を事実と見、又不可思議の存在を認める等、いづれも宣長と同じく、垂加神道に見た所である。斯く考へてくると、垂加神道から、儒意即ち太極図説的哲学を除去したもの、やがて本居の神道であるとも考へ得る如くである」
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天日・天照大神・天皇の三位一体に基づく現人神天皇観の誕生

前田勉氏は、『近世神道と国学』において、次のように書いている。
〈…(玉木)正英の神籬=「日守木」解釈は、…天照大神の霊魂は今もなお天皇と「同床同殿」に生きているという神器観に、…橘家神軍伝の「大星伝」とが結びつくことによって、新たに創出されたものではなかったか。それは、文字通り天日と天照大神と天皇の三位一体にもとづく現人神天皇観の誕生を意味していた。
さらに正英の神籬解釈の特筆すべき点は、「日守木」の「日」を守護する忠誠とは、現人神天皇への忠誠であったことである。正英において忠誠とは、現人神天皇への忠誠であって、それを超えた普遍的な道徳的原理に根拠づけられたものではなかった〉
そして前田氏は、是非分別せず、ひたすらに天皇に帰依する、天皇への被虐的ともいえる絶対的忠誠のモデルにされたのが楠木正成であるとする(160、161頁)。

天皇の有徳・不徳と万世一系性の矛盾を解いた玉木正英

前田勉氏は、『近世神道と国学』において、次のように書いている。
〈…(玉木)正英は、天皇の有徳・不徳と万世一系性の矛盾という闇斎学派の人々の喉元に突きつけられていたアポリアに、彼独自の三種の神器観を媒介にして、ひとつの明快な答えを提出した。正英の弟子若林強斎によれば、それは次のようなテーゼである。
橘家三種伝の内、上に道有るは、三種霊徳、玉体に有り。上に道無きは、三種霊徳、神器に有るなり。故に無道の君為りと雖も、神器を掌握すれば、則ち是れ有徳の君なり。神器と玉体は一にして別無きなり。

(『橘家三種伝口訣』)

天皇が有徳の君主であれば、「三種霊徳」は天皇の「玉体」にある。しかし、天皇が不徳である場合、「三種霊徳」は「神器」にある。だから、不徳の天皇であっても三種の神器を掌握している限り、「有徳の君」であるという。ここでは、三種の神器の「霊徳」の不可思議な権威が天皇の有徳・不徳以上に重んじられる。普遍的な道徳以上に、天皇の万世一系性が三種の神器の「霊徳」を根拠に強調されているのである。このような三種の神器観は「垂加派の独創」(加藤仁平氏)とされる」