「日本の真価」カテゴリーアーカイブ

『靖献遺言』無刊記本

 平成24年12月5日(水)に続き、平成25年3月27日(水)に、崎門学派直系の近藤啓吾先生のお宅を訪問し、ご指導を賜りました。その際、浅見絅斎『靖献遺言』の刊行変遷がわかる現物をいくつか拝見する機会に恵まれたばかりか、改訂本のうち最も早く刊行された『靖献遺言』を譲り受けました。
近藤先生が『靖献遺言講義』解題で書かれている関係部分を引きます。
 〈『靖献遺言』は貞享四年脱稿の直後に刊行されたが、その初印本は未だ見るを得ず、寓目の諸本はすべて改訂を経てゐるものであるが、そのうちにて最も早く刊せられたものは、美濃版三冊・青色表紙の無刊記本である。思ふに是れは絅斎の家蔵版であつて、後にその板木に「京師二條通衣棚・風月荘左衛門発行」の刊記を加へ、書肆風月堂より発売されたものが、茶色表紙の美濃版三冊本である。この本は元治年間にも補刻されてゐる(表表紙裏に「元治甲子補刻」「京師 三書堂」とあるが、刊記は元のまま)。また右とは別に美濃版半裁の中形本が、慶應元年に新刻され、明治二年、同十三年にも増刷されてをり、更に中形本をまた半裁した小形本が、銅版にて明治九年に版権免許になつてゐる(家蔵本はその明治十二年四月発行の四刻本である)。なほ明治四年には加藤勤の『靖献遺言訓蒙疏義』が新刻されてゐる。
 以上のごとく、幕末より維新にかけていく度も本書が増刷せられ、しかも携帯に便利な中型本・小型本として刊行されてゐるといふことは、常時いかに広く本書が読まれたかを示すものである〉(後略)

安倍政権で高まる「首切り自由化」論議

本来「大御宝」であるはずの労働者を、まるで自由に使い捨てできる道具にしようとする論議が活発になってきている。小泉政権時代に労働分野への新自由主義導入が加速したが、再び安倍政権はそれを再現しようとしているのか。
特に問題なのは、社員の首切り自由化論議だ。これは、一君万民を理想とする国体を踏みにじる暴挙ではないのか。以下、『愛媛新聞』社説(2013年03月19日)を紹介する。

解雇規制の緩和  「使い捨て論理」容認できない
金さえ払えば正社員を簡単に解雇できる―そんな規制緩和の議論が始まった。
安倍晋三首相が設置した産業競争力会議で、業績悪化など「合理的な理由」がなければ正社員を解雇できないと定めた労働契約法について、民間議員が「解雇しやすいルール」への変更を提言した。 続きを読む 安倍政権で高まる「首切り自由化」論議

小沢一郎氏「安倍総理のTPP交渉への参加表明を受けて」(平成25年3月15日)

 2013年3月15日、安倍晋三首相がついにTPP交渉参加を表明した。TPP参加は国家主権の放棄であり、国体の破壊に直結する。経済界の一部の利益のために、国体を破壊するようなことは断じて許してはいけない。
 残念なことに、日本維新の会とみんなの党は自民党以上にTPPに積極的だ。こうした中で、同日生活の党代表の小沢一郎氏が明確な声明を出している。

〈本日、安倍晋三首相が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加表明を行った。生活の党はかねてより、TPPが単なる自由貿易協定ではなく、日本国民の命と暮らしを脅かし、社会の仕組みの改変を迫る異質な協定であることから強く反対してきた。しかし自公政権が日本の国益を守るより、米国の言いなりになり、TPP交渉に参加表明したことは、国家百年の大計にもとる重大な誤りであり、即時撤回を強く求める。
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混合診療拡大によって、まともな医療が受けられなくなる

先端医療をテーマとしたフジテレビ連続ドラマ『ラストホープ』でも取り上げられた混合診療(保険診療と保険外診療(自費診療)の併用を認めること)。
2013年2月15日、政府の規制改革会議(議長=岡素之・住友商事相談役)が、今後取り組む59項目の検討課題を示した。ここには、労働分野の規制改革など広範な項目が並んでいるが、特に危険なのがこの「混合診療」の範囲拡大なのである。
日本医師会は、現在保険の対象となっている診療が保険外となる可能性を指摘している。
全国保険医団体連合会は「混合診療を推進する人たちの本当の狙いは、決して患者さんの選択肢を広げることではなく、本来公的医療保険で扱うべき医療の範囲を縮小し、その分を自由診療に移し変えようというもの」「保険給付の範囲がどんどん縮小され、公的保険では必要な医療まで受けられなくなる危険性があります。これでは、患者さんの選択肢を広げるどころか、逆に『今よりも選択の幅が狭まる』ことになります。 」「相次ぐ医療改悪で、ただでさえ日本の患者負担は先進国一高くなっており受診抑制が広がっています」と主張する。 続きを読む 混合診療拡大によって、まともな医療が受けられなくなる

垂加神道①「死生利害を超えて皇統守護の任に当たる」

『月刊日本』平成25年2月号に「死生利害を超えて皇統守護の任に当たる」と題して、『靖献遺言』理解に欠かせない、山崎闇斎にはじまる垂加神道について書きました。参考文献も加えて、崎門学研究会のHPに掲載していただきましたので、是非ご覧ください。

日本維新の会は「小泉・竹中路線(新自由主義)の全面展開」だ!


日本維新の会「骨太 2013-2016」(平成24年11月29日)は、「経済・財政を賢く強くする」の中で、基本方針として次のような項目を並べている。

・公共工事を拡大するのでなく、日本の競争力を高める徹底した競争政策を実施する
・政府・自治体の予算事業を徹底して民間に開放・新規参入を促す
・保育の成長産業化
・医療・福祉の成長産業化
・自由貿易圏を拡大する=TPP交渉参加
★労働市場を流動化させる
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皇道政治の理想を冒涜する不況下の増税強行

 不況下の消費増税強行について、国体の観点から考えてみたいと思います。
 亀井静香氏は、「経済が土砂降り、傘も差せずに明日なき生活をしている人がいる。そこに税金を取るぞと。こんな無情な政治が日本の開闢以来あったか」と発言しています。まさに、亀井氏の言う通りです。このような経済状況で増税を強行することは、皇道政治、天皇政治の理想に対する冒瀆にほかなりません。日本人が理想としてきた皇道政治は、例えば第十六代仁徳天皇(在位:313~399年)の「民の竈」の逸話に明確に示されています。
 〈四年春二月六日、群臣に詔して、「高殿(たかどの)に登って遥かにながめると、人家の煙があたりに見られない。これは人民たちが貧しくて、炊(かし)ぐ人がないのだろう。昔、聖王の御世には、人民は君の徳をたたえる声をあげ、家々では平和を喜ぶ歌声があったという。いま自分が政について三年たったが、ほめたたえる声も起こらず、炊煙はまばらになっている。これは五穀実らず百姓が窮乏しているのである。都の内ですらこの様子だから、都の外の遠い国ではどんなであろうか」といわれた。
 三月二十一日、詔して「今後三年間すべて課税をやめ、人民の苦しみを柔げよう」といわれた。この日から御衣や履物は破れるまで使用され、御食物は腐らなければ捨てられず、心をそぎへらし志をつつまやかにして、民の負担を減らされた。宮殿の垣はこわれても作らず、屋根の茅はくずれても葺(ふ)かず、雨風が漏れて御衣を濡らしたり、星影が室内から見られる程であった。この後天候も穏やかに、五穀豊穣が続き、三年の間に人民は潤ってきて、徳をほめる声も起こり、炊煙も賑やかになってきた。 続きを読む 皇道政治の理想を冒涜する不況下の増税強行

TPPは「平成の日米修好通商条約」だ!─出でよ、平成の梅田雲浜!

 大老・井伊直弼が強行した日米修好通商条約締結に対して、命がけで抵抗した幕末の志士たち。中でも『靖献遺言』で固めた男と呼ばれた梅田雲浜の抵抗は凄まじかった。
アメリカ基準への屈服・国体の破壊に直結するTPPは、まさに平成の日米修好通商条約である。平成の梅田雲浜よ出でよ!
以下に、『月刊日本』平成24年12月号に掲載した「『靖献遺言』で固めた男・梅田雲浜」浅見絅斎『靖献遺言』第1回(明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊 第5回)を転載します。

皇国への思いが招いた安政の大獄
安政五(一八五八)年九月七日、勤皇志士の巨頭、梅田雲浜は体調を崩し、京都烏丸池上ルの自宅で休んでいました。そこに、ドンドンと表戸を叩く音がしました。「誰か」と問うと、
「町役人ですが、今先生の御門弟が、そこの町で抜刀して喧嘩をしております。私どもがいくら止めようとしても、どうにもなりませんので、先生に出てきていただいて、取り鎮めてもらいたいのですが」
雲浜は、即座に町役人の言葉が嘘だと見ぬき、ついに補吏の手が伸びたと悟ったのです。このとき、大老・井伊直弼の指示により、伏見奉行、内藤豊後守正綱(岩村田藩主)は与力・同心以下二百人を率いて出動、雲浜を逮捕するため家を包囲していました。雲浜は、梁川星厳、頼三樹三郎、池内大学とともに、「尊攘四天王」として警戒され、弾圧の対象となったのです。 続きを読む TPPは「平成の日米修好通商条約」だ!─出でよ、平成の梅田雲浜!

「『靖献遺言』を読んで涙を落とさない人は、不忠者に違いない」(山片蟠桃)


懐徳堂出身の町人儒者・山片蟠桃は『夢の代』において、栗山潜鋒の『保建大記』と浅見絅斎の『靖献遺言』を、以下のように絶賛しています。
「日本の書籍多しと雖、世教に渉るはなし、慶長以降武徳熾んにして、文家も亦少とせず、大儒数輩著す所の書、すこぶる孝弟仁義を説くこと多し、中にも栗山先生の保建大記及び浅見先生の靖献遺言これが冠たり…靖献は……屈原以降の八忠臣を主とし、挙てその余これに類したる忠臣を褒し、又これに反したる賊臣を貶して、天下の忠と不忠を正すこと私意を以てせず、万世にわたりて議論なかるべしとす……ああ浅見氏の骨髄この書にあり、此書をよみて涕を落さざる人は、その人必ず不忠ならん、又此の書を以てその浅見氏の人となりを想像すべし、ここにおいてか、予栗山・浅見二先生のこの書をつねに愛玩すること久し、ゆえに論ここにおよぶもの也、我邦の述作においては、先この書を以て最とし読べし、自から得る所あらん必ずこれを廃すべからず、ゆえに丁寧反復す」
もともと、懐徳堂初代学主に就いたのは、絅斎の門人だった三宅石庵でした。懐徳堂には、山片蟠桃に至るまで、崎門学の流れが続いていたのでしょう。