吉田三郎『興亜論』目次

 昭和19年に「日本思想戦大系」シリーズとして刊行された吉田三郎『興亜論』の目次を掲げる。

 

第一章 皇国の伝統と興亜の理念/1
一、神勅奉行の聖業/1
二、興亜先覚の経綸/16
三、荒尾精と楽善堂の志士達/26
四、東亜経綸の根本義/49
第二章 米英亜細亜侵略の由来/59
一、近代西洋の成立とその東漸/59
二、イギリス人の日本渡来/71
三、東亜に於けるアングロ  サクソン勢力の瀰漫/87
第三章 大東亜建設をめぐる世界の情勢/113
一、盟邦独伊の現状/113
二、米英の思想的新攻勢/133
三、アングロサクソン民族の残虐性/147
第四章 興亜政策の現実的問題/165
一、大東亜共栄圏建設の目標/165
二、亜細亜の資源とその開発/173
三、我が対支新政策の樹立/197
四、中国新国民運動の展開/212
五、民族的伝統の尊重/224
六、満洲国及び朝鮮の問題/242
第五章 皇国の使命と現代教育の反省/257
一、指導者たる者の心構へ/257
二、「家」の教育/271
三、青年指導の問題/287
四、現代青年の覚悟/305

人類文明と儒家─杜維明の志

 杜維明については以前に「杜維明の思想」で言及したが、中村俊也氏は『新儒家論―杜維明研究』において、以下のように結論づけている。

 
 〈杜維明は、論著における結論として次のように述べる。それは、「共同して奮闘し、共同して価値を創造する」という観点の導く方向である。(三九五─一〇)
 「西洋文明が突出しているところは、まさしく、中国の伝統、儒家を以つて特色とする文明が有しないところにある。彼等の法律、個人主義、科学技術……これらはすべて、私達が学ばなければならない。しかし、百五十年以来、この文明は今度は私達の文化伝統となった。この文化伝統は、私達をして自己の伝統文化に対し断絶せしめた。(三九五─一一) 続きを読む 人類文明と儒家─杜維明の志

アジア的価値の現代的意義─黄心川氏の主張

 中国の思想家、黄心川氏は、アジア的価値観の意義について次のように説いている。
 〈東西の倫理観には集団意識と個人主義、家族本位と個人本位、内聖外王と自己完成、理想主義と現実主義、義を重んじ利を軽んじることと利のみを図る……等々の違いがある。
 東洋の倫理観は人間本位を重んじ、人間の活動を価値判断の基準とすることを強調するなどの特徴と、調和的な人間関係をもっているなどの長所を有している。しかし、専制主義であって民主的精神に欠けるという欠点もある。西洋の倫理観は現実と科学を重視し、実証性を強調するという特徴をもっているが、個人本位で、利のみを図るという欠点もある。
 東洋社会の改革と発展においては、西洋の倫理モデルを踏襲することはできないし、数千年の伝統的倫理観をそのまま保持するわけにもいかない。東洋の伝統的な倫理思想の集団意識、理想主義、調和的な人間関係を広げる基礎のうえに、西洋の倫理思想のなかの科学と現実を重んずるという長所を受け入れ、伝統的な倫理思想の家族本位や専制主義などの弊害を克服し、東洋社会の改革と発展をうながすことが必要である。このことはすでに世界の多くの学者たちの共通認識となっている〉(『東洋思想の現代的意義』(本間史訳、農山漁村文化協会刊)の「二 東洋哲学の起源と発展およびその現代的変容と社会的意義」)

東アジア共同体の真の意味

 アジアの歴史的伝統には普遍的な価値がある。このことを確認する上で、極めて示唆に富む指摘をしているのが、「東アジア共同体論の課題と展望」と題した小倉和夫氏の論稿である。ここで小倉氏は、次のように書いている。
「……現在別の新しいアジアという概念が必要となってきているのではないか。それは、人権や民主主義といった、いわゆる世界的ないし普遍的な価値の問題と関連している。こうした価値が西洋的なものではなく、むしろアジアの歴史的伝統のなかにすでに存在していたことを根拠だてるという意味で、アジアという概念が使われる時代に突入しているのである。
すなわち、世界的な、あるいは普遍的価値を生んできたと考えられている空間から、「西洋」という記号を剥奪する、そのための概念としてアジアという概念が登場しうる時代に突入している。言いかえれば、アジアこそがこれからの世界に、ある意味では人類普遍の価値観を普及させていく、ひとつの原動力となりうるのだというかたちのアジア論である。……こう考えると、東アジア共同体が機能的に成立しつつあり、東アジアにひとつの経済的な共同体が生まれていく方向が出てくるとすれば、その東アジア共同体は、東アジアの各々の国、あるいは東アジア共同体そのもののために存在するのではなく、国際社会、世界全体のために存在することになる。アジアが世界全体のために責任をはたしていく、そのための核として機能していくところに東アジア共同体の真の意味があるといえるのではなかろうか」
同論稿は、2010年6月に刊行された『平城遷都1300年記念出版 NARASIA 東アジア共同体? いまナラ本』に収録されている。

山県大弐を称揚した久坂玄瑞

 久坂玄瑞は『俟采擇録』において、山県大弐についてこう述べている
「明和四年丁亥八月某日、山縣大貳節に死す。山縣嘗て柳子新論十三篇を著す。帷に永澤町に下し、徒を集めて兵を講じ、天朝を尊みて覇者を抑ふ。其志寔にあわれむべし。竟に幕府之を判じ、不敬の至り斬に處す。ああ高山仲縄・蒲生君平よりさきに既にこの人あり。今を距ること殆んど一百年、而して湮滅して顕れざる者、學者多くは罪を懼れ、死を愛顧し、敢て争はざるのみ、敢て言はざるのみ。」