里見岸雄『国体論史 上』読書ノート①

里見岸雄は『国体論史 上』において、近世の国体論を通観して次のように書いている。
「……江戸時代の国体論は、必ずしもひとり国学派にその発達の頂点を見るべきものではない。それは大体、江戸時代前期に於ける御用儒学中心の国体論、中期に於ける国学の拾頭、後期に於ける水戸学的実践と次第したものと思ふが、国学派と水戸学派とは、学問的方法論に於て対立し、或る意味では氷炭相容れざるが如き論難攻撃をすら相互に応酬したが、そして、水戸学の採用した儒教的方法が、国学派から曰はせれば、不純なものであり未だ真乎国体に徹せざるものとして斥けられはしたが、然かもその水戸学から、大義名分王覇の峻別は絶叫し出され、封建社会の矛盾の激化と伴うて革新的、戦闘的、実践的国体論が指頭し来り、幕末に到っては更に国際的新情勢の附加に伴ふ攘夷論と結びついて、つひに、国体論は、観念的信仰的陶酔、机上的書斎的学問から一躍、政治的、実践的性格を獲得して、維新の精神的推進力となったのである。 続きを読む 里見岸雄『国体論史 上』読書ノート①

木村三浩氏「他人をさげすんで自らを慰撫する、お手軽ナショナリズム」

 対米追従を続けつつ、近隣諸国を見下す「右派・保守派」をどう考えるべきなのか。平成25年7月17日付の『朝日新聞』に、一水会の木村三浩代表の主張が掲載されているので、その一部を転載させていただく。

〈■お手軽な愛国主義に席巻され 「一水会」代表・木村三浩さん
 和をもって貴しとなす。これこそが日本の伝統であり、私たち右翼が目指してきた日本のあるべき姿です。国や民族や文化や考えが違っても、相手を尊重するのが「大和」の国、日本です。
 しかしどうですか、いまの日本は。嫌韓国、嫌中国を語ることで日本人の劣化から目を背け、見せかけの自信を得ようとしています。お手軽で、非歴史的で検証に耐えない。日本は右傾化したと言われていますが、民族派右翼である私はむしろ、暗然たる気持ちでこの社会を見ています。
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連載・山県大弐『柳子新論』①「『柳子新論』を伝えた勤皇僧・黙霖」

 『月刊日本』の連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」、平成25年7月号で『靖献遺言』は完了し、8月号より山県大弐の『柳子新論』に移りました。初回は「『柳子新論』を伝えた勤皇僧・黙霖」です。
吉田松陰が討幕論に到達する過程で、『柳子新論』は重要な役割を果たしました。そして、『柳子新論』の思想を松陰に伝えたのが宇都宮黙霖です。

TPPに反対するマハティール元首相

マレーシアでのTPP交渉を3日後に控えた2013年7年12月、マハティール元首相がついにTPP反対論を唱えるに至った。
マハティール元首相は、同日の『New Straits Times』に「TPP will be another bad pact」と題して寄稿した。以下に転載する。

UNEQUAL PARTNERS: The Trans-Pacific Partnership Agreement will allow big economies to plunder smaller ones
THE secretary-general of the International Trade and Industry Ministry avers that trade negotiations must be done in secret, I suppose by the officers concerned. There should apparently be no public debate, even within the government.
I don’t think it is such a good practice, if indeed that is the practice. Let us see the record of trade and other agreements negotiated by the Malaysian government. They do not seem to favour Malaysia much. In fact they seem to result in Malaysia accepting unfavourable terms. 続きを読む TPPに反対するマハティール元首相

『強斎先生雑話筆記』研究会①

 折本龍則君とともに継続してきた『靖献遺言』研究会の新たな展開として、若林強斎の発言を高弟山口春水がまとめた『強斎先生雑話筆記』の研究会を、開始します。
テキストは、『神道大系 垂加神道 下』(近藤啓吾先生校注)に収められたものを使用します。

友呂岐村教育会刊『皇道読本』

大坂府北河内郡(現寝屋川市)の友呂岐村教育会が昭和16年に刊行した『皇道読本』には、國體の把握に不可欠な文献のエッセンスが網羅されている。
以下、目次を掲げる。

・神勅
・教育ニ関スル勅語
・戊申詔書
・国民精神作興ニ関スル詔書
・神武天皇八紘一宇ノ詔書(橿原奠都ノ詔勅) 続きを読む 友呂岐村教育会刊『皇道読本』

佐々木実「竹中平蔵氏の正体」英訳

 以下は、『月刊日本』2013年7月号に掲載された佐々木実氏のインタビュー記事「竹中平蔵氏の正体」の全文英訳です。

A True Picture of Heizo Takenaka

 Minoru Sasaki, journalist

Heizo Takenaka as Seeker of Regulatory Reform in the Field of Labor

NIPPON: In your book Shijo to kenryoku [Markets and Power] (Kodansha), you focus on depicting the real Heizo Takenaka. The book is full of suggestions for people who wonder just how it was that neoliberalism came to be introduced to Japan.

SASAKI: Takenaka said at the first meeting of the Industrial Competitiveness Council (ICC) on January 23, 2013, that “there is no magic wand for growth strategy; regulatory reform that gives corporations freedom and makes them more muscular is the first element of growth strategy.” The following day, Prime Minister Shinzo Abe proclaimed the necessity of regulatory reform using a manner of speaking that followed Takenaka’s statement almost to the letter. It was a scene that was symbolic of the closeness between Prime Minister Abe and Takenaka.

Takenaka had played a major role during the years of the Koizumi administrations. He was subsequently the subject of various criticisms, and during the years of the Democratic Party of Japan administration it seemed for a moment that he might have become a has-been. However, he survived, was picked up by Prime Minister Abe, and is now the leading neoliberal ideologist.

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水戸学の日中同盟論

 高須芳次郎は『日本精神とその展開』(大東出版社)において、会沢正志斎と興亜思想の関係について、以下のように書いている。
〈…会沢正志斎は「アジヤ人のアジヤ」を主とすべく、日支同盟論を唱えたことがある。彼は西力東漸を防ぎ、またロシヤの南下を喰ひ留めるには善隣の誼ある支那と同盟し、こゝにアジヤの勢力を固めるのが肝要だとした。この点、正志斎の主張は、全く興亜を主眼としたもので、英国の印度侵略、支那蚕食を非とし、これに対しては、好感を表してをらない。……謹しんで惟ふに、明治元年に御発布になつた五箇条の御誓文は、興亜の大目的を実現せんとする御恩召に出たものと拝察する。そのうちで「広く会議を興し万機公論に決すべし」と宜ひ「知識を世界に求め大に皇基を振起すべしにと仰せられたのは、日本の実力を充実して、興亜の偉業を完成せられんとする重要事を御垂訓なされた御言葉であると思はれる。更に御宸翰において、尊い御決意のほどを仰せ出され、
「朕茲ニ百官諸侯ト広く相誓ヒ、列聖ノ御偉業ヲ継述シ、一身ノ艱難辛苦ヲ問ズ、親ラ四方ヲ経営シ、汝億兆ヲ安撫シ、遂ニハ万里ノ波濤ヲ開拓シ、国威ヲ四方ニ宣布シ、天下ヲ富岳ノ安キニ置ンコトヲ欲ス。」
と堂々、壮大・雄偉の御精神を表明せられたのである。かうした方針のもとに、皇国日本の皇威は四方に発揚せられ、いつも「東洋永遠の平和」維持に主点を置かれた。惟ふにそれは、アジヤ人のアジヤを完成して、共存共栄を計り、日本がその指導者として、新秩序、新文化を創造することを天職とすることに帰するのである。〉

「日満支の統一」は共通の原理で!─山田光遵『東洋国家倫理の原理と大系』

 山田光遵は昭和16年に刊行した『東洋国家倫理の原理と大系』(中文館)において、「興亜論」の一節を割いて、以下のように主張した。
 〈日満支三国が精神を同じうする事の為にはこの三国を通ずる精神の把握に先立つて、この三国を通ずる教の問題を考察せねばならぬ。精神は教から浸み出るものであるからである。日満支の文化の交流はすでに数千年の古に始まる所である。就中孔子教は支那をして支那たらしめたると共に日本をして日本たらしめた中枢的精神文化である事を思ふ時、日満支を通ずる精神を論ずるに当つて、先づ儒教に注目せねばならぬ。……然しながら現代我が国教学の中枢精神は儒教倫理そのまゝのものではなく、況んや全体主義の如き国家的利己主義ではなく、儒教倫理が中枢となりながら、而もそれが世界人類の不動の平和を目標とする所の八紘一宇の倫理にまで積極化、大乗化せられたものである事は刮目して見なければならぬ点であつて、アジヤの倫理は正にかゝる意味に於ける八紘一宇の倫理なる事を確信しなければならぬ。而してこの八紘一宇の同家倫理は結局興亜の原理として、日満支の統一原理として働くべきものであるが、それは各三国を離れた、或はそれらを超越してそれらを總括すると謂つたやうな原理ではなくて、各三国の内に内在し、それらを貫く枢軸であり、而もそれらに共通の原理たるべきでありて、彼の国際公法的な、外的強制的結合原理であつてはならぬのである。……即ち支那は支那として、満洲国は満洲国として、日本は日本として生々発展しつゝ而も一となつてアジヤ精神の中に活きて行かねば合体の意昧をなさぬのである。 続きを読む 「日満支の統一」は共通の原理で!─山田光遵『東洋国家倫理の原理と大系』