「日本の真価」カテゴリーアーカイブ

天皇親政が本来の姿─平泉澄先生「國體と憲法」①


平泉澄先生は、昭和二十九年の講演において次のように語っている。
「…日本の政治において天皇の御地位がどういふものであつたか、天皇と国民との関係がどういふものであつたかといふことの概略を見て来たのでありますが、かやうにして、藤原氏が摂政、関白となつたこともありますし、武家が幕府を開いたこともありますし、政治は往々にしてその実権下に移りましたけれども、それはどこまでも変態であつて、もし本来を云ひ本質を論じますならば、わが国は天皇の親政をもつて正しいとしたことは明瞭であります。これは歴史上の事実でありまして、議論の問題ではございません。従つて英明の天子が出られました場合には、必ずその変態を正して、正しい姿に戻さうとされたのでありまして、それが後三条天皇の御改革であり、後鳥羽天皇倒幕の御企てであり、後醍醐天皇の建武の中興であり、やがて明治天皇の明治維新でありましたことは申すまでもありません。……世間にはマツカーサーの憲法を用ひましても國體は変らないと説かれる方もだんだんとあるやうであります。それは恐らくやはり皇室のために憂を抱き、日本の国を愛する誠意から出てをるのであると思ひます。私はさういふ方々の誠意を疑ふわけではございません。しかし私ども学者の末端に列する者として、恐るるところなく事実を直視いたしますならば、かくの如き考は耳を抑へて鈴を盗むの類でありまして、若しマツカーサー憲法がこのまま行はれてゆくといふことでありますならば、國體は勢ひ変らざるを得ないのであります。民主々義はこれを強調する、天皇はわづかに国の象徴となつておいでになる。歴史は忘れられ家族制度は否定せられてゐる。現在のみが考へられて、歴史は考へられず、家族制度は無視されて個人のみが考慮せられ、人権はほとんど無制限に主張せられ、奉仕の念といふものはない。その限りなく要求せられる個人の権利の代償としては、ただ納税者の義務のみが明らかに規定せられてをる。忠孝の道徳の如きは弊履の如くに棄てて顧みない。かくの如き現状において、日本の國體が不変不動であるといふことは万あり得ないところであります」(「國體と憲法」『先哲を仰ぐ』所収)

「二子なかりせば、乱臣賊子、迹を後世に接せん」

 韓愈『伯夷の頌』の末尾には、「二子なかりせば、乱臣賊子、迹を後世に接せん」とあります。二子(伯夷・叔斉)がいなかったら、乱臣賊子が次々と絶え間なく出現したことだろう、と。
 これについて、近藤啓吾先生は『靖献遺言講義』で以下の絅斎講説を引いています。
 〈『拘幽操』の附録の跋にかくも、この思い入れで、やゝともすれば後世での手よく世をぬすむものが、湯・武を引きべつにする。それでこの二子なくば乱臣賊子あとを後世につがせうぞ。王莽や曹操や許魯斎や其外の世をぬすむ男どもを一坐にならべて、湯・武ばなしをしたらば、惣々尤じや聖人じやと云をゝ。其中へ伯夷の名分を云いたてたら、どれも色ちがひして、ものをゑ云ふまいぞ〉(原文カタカナ)

「梅田雲浜先生生誕200年記念墓参」、『レコンキスタ』に掲載

 崎門学研究会(代表:折本龍則氏)の主催により、平成27年11月28日(土)に東京都台東区の海禅寺で行われた「梅田雲浜先生生誕200年記念墓参」の模様を、一水会発行の『レコンキスタ』(平成28年1月1日号)に掲載していただきました。

筑前勤王党志士宛て平野国臣書簡

 
文久3(1863)年10月、平野国臣は筑前勤王党の志士(鷹取養巴、月形到、江上栄之進、浅香市作、筑紫守、森安平)に宛て、次のように蹶起を促した。
「各君御壮健奉賀候。天下の形勢定而御承知可被成、如何御因循被成候哉。
 臣子之忍ぶ所にては有之間敷候。君臣は天下の公道、主従者後世之私事歟と発明仕候。六親叛而大孝顕れ、大道廃而有仁義ものに御座候。
天朝立て各藩立、
神州有て各国有。何ぞ其末に泥みて其基本を助けざらんや。今日の急務、断之一つに在。鬼神も之を避ると謂はずや。区々として株兎の小計をなすは小人也。愚俗也。護而豪傑之実功を見給ふべし。
不日に一軍之兵勢を挙動し、天下之耳目を驚して可入貴覧候。能目を拭、耳を洗て十五日を待給へ。
再会難期。句句頓首謹言」

近衛篤麿─東亜同文書院に込めた中国保全の志

文麿に引き継がれた興亜思想
 「……帝国の冀求する所は、東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設に在り。……この新秩序の建設は日満支三国相携へ、政治、経済、文化等各般に亘り互助連環の関係を樹立するを以て根幹とし、東亜に於ける国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり。是れ実に東亜を安定し、世界の進運に寄与する所以なり。……惟ふに東亜に於ける新秩序の建設は、我が肇国の精神に渕源し、これを完成するは、現代日本国民に課せられたる光栄ある責務なり」
 昭和十三年十一月三日、近衛文麿首相の東亜新秩序声明に国民は沸き立った。頭山満はこの声明を誰よりも感慨深く聞き、文麿の父篤麿が亡くなった日のことを思い起こしていたことだろう。東亜新秩序声明を書いたのは、大正四年に東亜同文書院に入学し、篤麿の盟友、根津一院長に可愛がられた中山優である。
 興亜陣営の強い期待を背負いながら、篤麿が四十歳の若さで亡くなったのは、明治三十七年一月二日のことであった。当時頭山は四十八歳、文麿は十二歳、弟の秀麿は五歳だった。
 『近衛篤麿』を著した山本茂樹氏は、「篤麿が存命で強力なリーダーシップを発揮した場合、支那保全論から一歩進んで、アジアの解放とアジア諸民族の結束を意味するアジア主義を新たな国家目標として設定できた可能性もあった。それというのも……篤麿こそは、数あるアジア主義者の中でも、強力な指導力と日本の朝野のアジア主義者たちを糾合出来る求心力を十分に持つほとんど唯一の存在であり、しかも天皇に最も近い立場にあって、将来の首相候補として真っ先に挙げられ、欧米だけでなくアジアの国々での知名度も高かったからである」と書いている。だからこそ、地方の抜け目のない金持ちたちは、篤麿がいずれ首相になる人物だと見込んで、彼に多額の献金をしていた。ところが、どういうわけか篤麿は受け取った献金に対して必ず借用証書を出し、個人の借金にしていた。これが祟った。 続きを読む 近衛篤麿─東亜同文書院に込めた中国保全の志

ポケット版『靖献遺言』を贈られた




 平成27年12月21日、崎門学研究会代表の折本龍則氏から、予期せぬ贈り物を頂戴しました。
山崎闇斎の高弟浅見絅斎の『靖献遺言』のポケット版です。明治43年10月25日に刷られたもので、この種の本を手に入れられたのはまさに奇跡的。
かつて、橋本左内など幕末の志士たちは、常時『靖献遺言』を懐中に忍ばせていたと伝えられていますが、これを贈られたいま、この平成の時代に『靖献遺言』を懐中に忍ばせることができるのです。

度会延佳『陽復記』テキスト 5 崎門学研究会 輪読用資料

 度会延佳の『陽復記』テキスト5。平重道校注(『日本思想体系 39 近世神道論 前期国学』岩波書店、86~117頁)。

『陽復記』上(89頁)

 抑(そもそも)堯舜の道の我国の神道に同き子細あり。日本の宗廟伊勢大神宮に伝る古書の中、天口事書(てんくじしょ)*云、「皇天(あめのかみ)、盟(ちか)ひ宣はく、『天皇、八坂瓊の勾(まが)れるが如くに、曲妙(たへ)なるを以て、御宇(あめがした)の政を治め、且つ真経津(まふづ=ますみ)*鏡の如くに、分明(あきらか)なるを以て、山川海原を看行(みそな)はせよ。即ち是の霊(あや)しき剣を提げて、天下を平げて、万民を利(かが)せよ」と言壽(ことほぎ)たまふ」とあり。是は皇孫尊(すめみまのみこと)此土へ天下りたまはんとせし時、皇天の三種の神宝を授たまひしに添られし御言なり。深き故もあるらめど、聞伝し計は八坂瓊とは八坂瓊の五百筒御統(みすまる)とて、大神の御ぐしにかけられし玉と云。八坂は玉の出し所の名、五百筒御統は数の玉をつらぬきたるものとなり。其外も説々あまたあれど、一説はかくのごとし。但勾(まがる)といへば其形まがれるにや。又玉のかたちの柔なるをいへるにや。只玉の事と心得てよ。

*天口事書 外宮神官度会行忠の撰した神風伊勢宝基珍図天口事書をもととし、鎌倉末期に設立した神道書。
*真経津 真は美称。経津は「ふつ」と読み「鋭い」の意か。

度会延佳『陽復記』テキスト 4 崎門学研究会 輪読用資料

 度会延佳の『陽復記』テキスト4。平重道校注(『日本思想体系 39 近世神道論 前期国学』岩波書店、86~117頁)。

『陽復記』上(88~89頁)
 冠昏喪祭の礼も我国にしたがひてよ。但末代にて律令格式等の書も、家々に邪秘し他見をもゆるさぬ事なれば、しらぬ故ともいはんか。されど格式等も異国の法を考て、此国の古法に合て定たると見えたれば、吾国の古法のみにもあらず。今とても異国の礼を用るをひたすらあしきとも云がたし。同姓をめとらぬ事などは、我国の古法には見あたり侍らねど、唐よりは日本国は同姓をめとらぬ国としるしける、いかゞ聞傅るぞや。無実なる説なれどもいにしへは左様の人の我国にも多かりけるにや。此事ふかき子細あるべし。我国にも昔より藤氏ぞ天子の御外戚に定り給ふなれば、いにしへはさも有けるにや。仁徳天皇の御妹を后にそなへ給ふといふは、御妹を尊で皇后の尊号を授たまふまでなるを、記すものゝあしく心得て夫婦となり給ふやうに書たるはあやまりなり。御子なきにてしるべし。此誤を伝へ給ひ、敏達天皇も御妹を皇后にそなへ給て、御子も生給ふと或人のかたりし、さるあるべき事とぞ覚侍る。かやうの事はいくらと心なくあるべけれど、人のきかんもはゞかりあればもらし侍る。

「真の國體観なき『保守派』の悲劇」(『レコンキスタ』平成27年11月1日)

 一水会発行『レコンキスタ』(平成27年11月1日)の「民族派の雄叫び」に「真の國體観なき『保守派』の悲劇」を掲載していただいた。
 そこに引いた近藤啓吾先生の言葉「皇統無窮、万世一系とは、本然の事実にあらずして、当為の努力である。言ひかへれば、これは、わが國體の最高の理想目標を示したものに外ならない。たゞこれは、絶ゆることなき努力の継承によつてのみ、現実たらしめ得る。しかもこの当為の努力が、肇国以来一貫せられて来たところに、わが国の道義の本質を見る。観念でなく実践であり、中断なき継承であらねばならぬ」を噛みしめたい。