「昭和維新」カテゴリーアーカイブ

グローバル化に利用される政府の「明治150年」事業─王政復古の意義を封印

 明治維新150年を迎えるに当たり、政府は平成28年10月に「『明治150年』関連施策推進室」を設置して検討を進め、同年末に関連施策推進の方針をまとめた。ところが、政府の捉え方は、またしても「明治維新」ではなく、「明治」である。
 明治維新100年を控えた昭和41年、佐藤栄作政権は「維新百年に回帰しようなどと大それた考えを持っているのではありません。戦後二十年の民主主義の側に私どもも立っております。…ことさら明治維新を回想するというわけではございません」(官房長官談話)という立場に立っていた。
 これに対して、昭和41年3月、憲法憲政史研究所長の市川正義氏は、佐藤首相に質問主意書を提出し、「明治百年の重要性は明治維新にある」と糺している。また、大日本生産党も「明治維新百年祭問題」において、「政府の考え方は〈明治維新百年祭〉ではなく単なる〈明治百年祭〉であって、単なる時間の流れの感慨にしかすぎないのである」と批判していた。安倍政権は、再び50年前の過ちを繰り返そうとしているのか。
 しかも、政府の方針には、明治維新最大の意義である王政復古、天皇親政への回帰という視点が皆無である。ひたすら、「明治」という時代の近代化と国際化を強調しているに過ぎない。
 明治維新100年を控えた時期には、先述の大日本生産党文書は「明治維新百年祭は単なる懐古的行事ではなく、昭和維新の前哨戦としての役割を持つ」と説いていた。また、安倍源基氏は「明治維新の意義と精神を顕揚して、衰退せる民族的自覚、愛国心の喚起高揚を図る有力なる契機としなければならない」と、福島佐太郎氏は「明治維新を貫く精神は建武の中興、大化の改新と、さらに肇国の古に帰るという王政復古の大精神であった」「われわれは懐古としての明治維新でなく、維新が如何なる精神で行なわれたかを三思し、現代日本の恥ずべき状態に反省を加え、もって未来への方向を誤らしめてはならぬ」と主張していた。50年を経た今日、改めてこれらの意見に耳を傾けるべきではないのか。
 政府はわずか二カ月の検討を経て、「明治150年」関連施策推進の方針をまとめてしまった。第1回(平成28年11月4日)の会議では、東京大学名誉教授の山内昌之氏が意見を述べた。同氏の用意した資料には〈「明治維新と明治150年の歴史的意義。270の藩つまり「半国家」「准国家」が独立割拠して個別に外国と条約を結ぶ事態が避けられ、統一国家としての近代日本を立ち上げた意義に尽きる。廃藩置県・徴兵制・地租改正の実施によって、ヨーロッパをモデルとした主権独立国家体制を築き上げた〉とある。王政復古という言葉はない。山内氏は、記念プロジェクトの一例として、お雇い外国人に関する海外との交流行事を挙げた。
 第2回会議(平成28年12月1日)では、帝京大学文学部長の筒井清忠氏が意見を述べた。筒井氏は、明治維新の基本理念は「五箇条の御誓文」だと指摘しつつも、そこから王政復古の意義を導こうとはしない。筒井氏は、明治時代の意義として、①立憲主義・議会政治、②国民主義・民主主義(身分制を越えた発言権の称揚)、③人材登用(平等主義)、④進歩主義、⑤世界主義を挙げる。驚くことに、筒井氏もまた山内氏と同様に、記念プロジェクトの一例として、お雇い外国人にちなむ外国との交流イベントを挙げている。
 第3回会議(平成28年12月26日)では、内閣官房副長官の野上浩太郎氏が、それまでの検討結果を踏まえ、「『明治150年』関連施策の推進について」を取りまとめたと報告した。
 この政府方針にも王政復古の文字はない。しかも「明治維新」の文字すらない。ただ、「明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、この時期において、近代化に向けた歩みを進めることで、国の基本的な形を築き上げていった」(明治以降の歩みを次世代に遺す)、「明治期においては、従前に比べて、出自や身分によらない能力本位の人材登用が行われ、機会の平等が進められた」(明治の精神に学び、更に飛躍する国へ)と述べている。
 そして、山内氏、筒井氏の意見を踏まえる形で、施策の方向性として、「明治期の若者や女性、外国人などの活躍を改めて評価する」ことなどが挙げられた。
 王政復古という維新の本義が封印されたまま、明治維新150年という極めて重要な機会が、グローバル化の推進、女性の社会進出の促進のためだけに利用されることになるのだろうか。

先帝陛下の御学問─杉浦重剛「倫理御進講草案」大義名分

 先帝陛下(当時皇太子殿下)が学習院初等科をご卒業されたのを機に、大正3(1914)年5月、東宮御学問所が設立された。歴史担当・白鳥庫吉、地理担当・石井国次など、16科目の担当が決まったが、肝心の倫理の御用掛が決まらなかった。帝王学を進講する倫理担当には、和漢洋の知識に通じ、高い識見人格を備えていることが求められた。
 東郷平八郎総裁、波多野敬直副総裁らが慎重な協議を続け、元第一高等学校長として名声の高かった狩野亮吉の名が挙がったが、狩野はその任務の重さを恐れ辞退した。このとき、杉浦重剛の真価を知るものは、御進講の適任者として彼のことを考え始めていたのである。御教育主任の白鳥庫吉から相談を受けた澤柳政太郎は「杉浦さんがよいではないか」と杉浦の名を挙げた(『伝記』二百六頁)。これに白鳥も賛同、東郷総裁の意を受けて小笠原長生子爵が改めて杉浦の人物について調査した結果、「杉浦といふ人は命がけで事に当る人だと思ひます」と報告した。東郷は「それだけ聞けばよろしい」と言って、直ちに決定したという。 続きを読む 先帝陛下の御学問─杉浦重剛「倫理御進講草案」大義名分

大夢館創立50周年 第43回(平成28年度)大夢祭のご案内


合掌 昭和七年五月十五日、三上卓先生ら先達は、昭和維新を目指して蹶起しました。それから八十四年の歳月が流れました。ところが、わが国は真の独立を回復できないまま、内外の危機が深刻化しています。蹶起の二年前、「民族的暗闇を打開し、開顕しうるものは、青年的な情熱以外にはない」との確信に基づき三上先生が佐世保の軍港で作ったのが「青年日本の歌」(昭和維新の歌)です。現在の危機を打開するために、今ほど青年的情熱が求められる時代はないと、私たちは信じております。
維新の精神の発揚を目指し、次の通り第四十三回(平成二十八年度) 大夢祭を開催いたします。
敗戦によって占領下に置かれたわが国は民族的自覚、國體に対する誇りを喪失し、植民地的属領国家の様相を呈しました。この状況を打破せんとして、昭和維新の精神を継ぐべく、多くの先覚者たちが身を挺して立ち上がって参りました。昭和三十五年十月十二日に浅沼稲次郎を誅し、同年十一月二日に自決した山口二矢烈士。昭和四十五年十一月二十五日に自衛隊決起を呼びかけた末、自決した三島由紀夫烈士と森田必勝烈士。平成五年十月二十日、朝日新聞の報道姿勢を糾さんとして、壮絶な自決を遂げた野村秋介烈士。さらに多くの先達が維新運動に挺身して参りました。
本祭祀を、五・一五事件で斃れた犬養毅、官邸護衛の警視庁巡査・田中五郎の英霊、昭和維新を願って蹶起した三上先生はじめ、これに連なる多くの先輩同志同胞にとどまらず、維新運動の先覚者の御霊をお祀りし、その志を受け継ぐ場にしたいと存じます。
恒例の筑前琵琶・演目「西郷隆盛」(宮下旭菖)を奉納いたします。
「大夢」とは三上先生の号です。本年は花房東洋が三上先生の悲願を継承し、大夢館を創立してから五十年の節目の年に当たります。どうか、一人でも多くの方にご参列いただけますよう、心よりお願い申し上げます。

再拝
平成二十八年四月

日時 平成28年5月15日(日)
受付 午前11時半
開会 正午
直会 午後1時30分

場所
大夢祭 岐阜護国神社

(岐阜市御手洗393 電話058─264─4321)長良川畔南岸
直会 岐阜ワシントンホテルプラザ スカイルーム

(岐阜市神田町7─7─4 電話058─266─0111)JR・名鉄「岐阜駅」近く

会費 7,000円(直会費含む)

*ご参列の場合には、メールにてご連絡いただければ幸いです。
info@taimusai.com

*当日は市民清流マラソンが開催され、交通規制されております。お車またはタクシーでお越しの方は、「通行証」をご利用ください。