「東アジア共同体」カテゴリーアーカイブ

精神的基礎なきアジア連帯会議

1926年の亜細亜民族会議の教訓
大正13(1924)年7月にアメリカで排日移民法が施行され、日本国内で反米ムードが高まりつつあった。こうした中で人種平等を掲げたアジア人の連帯運動の気運も次第に盛り上がり、興亜論者だけでなく、政治家の中にも興亜運動を進めようという動きが出てきていた。政友会の今里準太郎もその1人であった。例えば、今里は移民法施行直後の大正13年7月6日に、時の総理大臣加藤高明に対して「外交方針ニ関スル質問主意書」を提出している。そこには、次のように記されている。

1、人種平等ニ関シ日本政府ノ採レル努力ノ経過並今後ノ方針如何
2、米国以外ノ日本移民地ニ於テ日本移民ヲ永遠ニ安住セシムル具体的方針如何
3、日支親善ノ具体策トシテ日支間ノ条約一部ノ改廃乃至日支同盟ノ意ナキ乎
右及質問候也(1) 続きを読む 精神的基礎なきアジア連帯会議

欧米植民地支配とアジアの文化協力

アジア人の人類への貢献

 東アジア共同体の課題として、経済、安保分野の協力とともに、文化面における協力の重視性もようやく認識されるようになった。東アジアが単に地域的な利益を確保していくだけでなく、国際社会で貢献していく上で、いかに文化協力が重要かについては、東アジア連帯の気運が盛り上がった1950年代半ばに、すでに明確に語られていた。その時代のアジア(・アフリカ)の文化交流の重要性に対する認識は、私たちの想像以上に深く、強烈だった。そこには、宗教誕生の地としてのアジアの誇りと、人類の進歩に対する貢献の歴史に対する明確な認識があった。それは、およそ100年前に岡倉天心が語り、やがてタゴールらによって引き継がれたアジア文化に対する誇りに繋がる。 続きを読む 欧米植民地支配とアジアの文化協力

東アジア経済グループ(EAEG)に関する国会議事

123回衆議院 予算委員会 – 6号
1992年2月21日
■井上(普)委員
(略)
そこでひとつお伺いするんですが、一昨年でございましたか、一昨年の九月にASEAN外相会議におきましてマハティール提案というのがマレーシアの総理から出されました。すなわち、ASEAN六カ国のみならず、香港、台湾、中国あるいは韓国、日本、ビルマまで入った十六カ国でひとつEAEGというものをつくろうじゃないかという提案がなされました。当然今までの動きからいたしまして日本は入ってもらいたいということは、これは望むのは当然であろうと私は思うんでございますが、これに対しましてアメリカから強い反対の声が上がったのも私は存じております。 続きを読む 東アジア経済グループ(EAEG)に関する国会議事

クアラルンプール宣言(2005年12月12日)

クアラルンプール宣言(2005年12月12日/外務省仮訳)

われわれ、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国及び中華人民共和国、日本国並びに大韓民国の国家元首及び行政府の長は、マレーシア・クアラルンプールにおける2005年12月12日の第9回ASEAN+3首脳会議の機会に、

相互連帯と一致した努力を通じた、平和で、安定し、繁栄する東アジア地域環境の必要性を再確認し、

国連憲章の目的と諸原則、東南アジアにおける友好協力条約及びその他の国家間関係を規律する規範の基礎となる普遍的に認識された国際法の諸原則に対する約束を再確認し、

東アジア協力の原則と目的を定める「東アジア協力に関する1999年共同声明」を想起し、

 地域及び国際の平和と安全、繁栄及び進歩の維持に貢献する東アジア共同体を長期的目標として実現していく共通の決意をあらためて表明し、

ASEAN+3プロセスは引き続きこの目的を達成するための主要な手段であり、またそこではASEANが推進力となり、共有されたオーナーシップ意識を促進するためにASEAN+3各国が積極的にこれに参加するものであることを確信し、
続きを読む クアラルンプール宣言(2005年12月12日)

「東アジア協力に関する第二共同声明」(2007年11月20日)

東アジア協力に関する第二共同声明(外務省仮訳)
-ASEAN+3協力の基盤に立脚して-

Ⅰ.序文

1. われわれ、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国並びに中華人民共和国、日本及び大韓民国の国家元首ないし行政府の長は、2007年11月20日に、シンガポールにおいて、ASEAN+3協力10周年の機会に集まった。

2. われわれは、急速に変化する国際環境及びグローバル化が機会と課題の双方をもたらしたことに留意した。われわれは、活力があり、開かれた、イノベーションに富み、競争力のある東アジアに向けた展望は、利益の一致並びに平和・安定・協力及び繁栄への願望及びコミットメントに後押しされ、明るいとの認識で一致した。 続きを読む 「東アジア協力に関する第二共同声明」(2007年11月20日)

「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日

十二年前に起こったことが再び繰り返されようとしている。
当時、マレーシアをはじめとするASEAN諸国は、「ASEAN+3(日中韓)」の枠組みの会議開催に意欲を見せていたが、日本政府は、日本が参加の意志を見せなければ、この構想は実現しないと高をくくっていた。ところが、ASEAN側は、日本が不参加ならば、中国、韓国だけで「ASEAN+2」会談を開催するとの意志を固めたのである。マハティール首相のEAEC(東アジア経済会議)構想を支持する言論活動を続けてきた古川栄一は、次のように書き残している。
「日本はEAECに参加しないから、EAECは自然死すると豪語した。アセアン側は、そこで日本抜きで、しかも中国(および韓国)の参加のみでEAECの首脳会議を開催することにした。そうして日本の池田外相は、跳び上がるようにして驚いて、日本は首脳会議に参加した」(古川栄一「アジアの平和をどう築きあげるか」(歴史教育者協議会編『歴史教育・社会科教育年報〈平成十三年版〉二一世紀の課題と歴史教育』三省堂、平成十三年)二十四頁)。 続きを読む 「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日

EAECとアジア的価値観

金子芳樹教授の指摘

マハティール前首相が1990年に提唱した東アジア経済グループ(EAEG、後にEAEC)構想は、当面の狙いとしては、東アジア各国の関係を緊密にし、先進国との通商交渉を有利に進めることを挙げていたが、単に通商問題の次元に止まるものではなく、アジア的価値観の復興と連動しており、文明史的な側面を濃厚に持つものだったのではなかろうか。独協大学の金子芳樹教授は、マハティール前首相のアジア的価値観論について論じた上で、次のように指摘している。  続きを読む EAECとアジア的価値観