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大井一哲『建国由来と皇道政治』①

 

戦前、皇道政治を称揚した大井一哲は『建国由来と皇道政治』において、肇国の精神からわが国の皇道政治の本質を説明しようと試みた。
大井は、わが国の天皇中心政治、一君万民の政治は天地自然の大道そのものであると強調した。
ここでいう天地自然の大道とは、「宇宙創造の太古より、幾千億年の未来を一貫して、不動、不易、不損、不磨の大法則」であり、また「大自然の本体」である。
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山鹿素行『中朝事実』2011年12月13日①

『中朝事実』皇統章において、素行は神武天皇即位の際の行動に注目し、君臣・夫婦・父子の三道が確立されたと強調した。そして、わが日本はこの三道を軽率に扱うことはできないのを知ったと説いた。
素行は、支那の天子が三十姓以上も変わり、また臣の身分でありながら君を殺すことが数多くあったことなどを挙げ、これとの対比で、わが国の万世一系を称え、「…全く天祖・天皇の知徳がこの上もなく明ら か国中によい感化を与へたためで、久遠に人民 はそれを忘れ得ななつたからである」 と主張した。
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山鹿素行『中朝事実』2011年12月12日②

素行はわが国こそが「中国」である理由を二つ挙げた。
第一点は、地勢上、日本が天下の中央に位していること、第二点は、日本の道が中庸を得ていることである。第一の理由について素行は次のように説明する。
「神典には最初の神としてアメノミナカヌシノミコト(天御中主尊)とクニノトコタチノミコト(国常立尊)とが出現される。前者は天の中心、後者は国土の基礎の意で、これらの尊号から既に永久の中心といふ思想があり、更に日本の最も遠い先祖として存在ましました理由を知れば、中国としての実質は、悠々の太古から、最も正しい意味で自然存在したと考えるのが至当である」
続けて素行は、日本の道が中庸を得ているとの主張を次のように説いた。
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山鹿素行『中朝事実』2011年12月12日①

素行は、『中朝事実』或疑において、上古は日本と支那に優劣なしとも述べていた。
「我が神代に於る数多の神勅は、堯が舜に又舜が禹に与へた教戒に比すべきである。支那に於ける周の武王・文王の廟が質素で供物も僅か黍稷をその儘で供へたのは、我が伊勢の皇太神宮の有様と比せられる。……更に代々の天皇の即位に当つての詔勅は、夏の禹王が正確な暦を天下に配布し、農事を益せしめたのと意味においては変らない」(『中朝事実講話』372頁)
ただ、高須芳次郎は「古代日本の勅教と堯舜の教説とが同一にちがいといふのは、大まかに過ぎる」と評している。

山鹿素行『中朝事実』2011年12月11日③

山鹿素行は『中朝事実』「神教章」で「天地の開け初めから神徳が行はれ、明らかな教戒が備は」っていたと主張した。この見解には反論もあった。
「或疑」において、素行は次のように書いている。
「『日本に漢学・漢籍が輸入されたのは神代から遥か後の事で、神代に学問があったとする証拠は文献中にない。それにも関らず、天神の教戒などと学教を云々するのは少し妙に思はれる』と問ふ人がある。
右の質問者は学の本質を見誤まつてゐる。学とは聖人の言行を受け伝へ実行することで、神に就いても同じ事が言へる。だから、この世に人物が存在すれば、その言行を受け伝え実行出来る筈であり、従つて学問は存在することになるのだ。我が上古にこの事実が果して皆無だつただろうか」
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山鹿素行『中朝事実』2011年12月11日②

素行が『中朝事実』において訴えようとしたのは、日本国体の自立性であった。
同書「或疑」において、素行は神武天皇の御先祖が呉の泰伯だと考える説を一笑にふしている。
この部分を解説した高須芳次郎は、江戸初期から中期にかけて、支那崇拝の漢学者などは、往々、これを真実の如く考えたと指摘し、次のように書いている。
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山鹿素行『中朝事実』2011年12月11日①

山鹿素行は『中朝事実』「神教章」で次のように書いている。
「我神の道は何も支那・朝鮮との交通が開けた後に存在するやうになつたのではない。天地の開け初めから神徳が行はれ、明らかな教戒が備はり、支那聖人の書物を知らなくとも、別に不足を感ずる点は毫もなかつた。折柄、他国との交通が開けたのを利用して、その長所を採リ、皇威の進展の一助としたのは、全く皇室の御心が広く、万物を受入れられる大御心の結果に外ならない。……我国が支那の道を一助として用ひ、国威を盛大にした事実は、広く日本の無比な地位を物語るものである」

アメリカに物申した男─ウゴ・チャベス


アメリカの石油産業とベネズエラ財界
アメリカは、ベネズエラから日量150万バレルの石油を輸入し、南米屈指の油田地帯ともいわれる同国北西部マラカイボ油田の開発にも関わってきた。この石油の利権に近い2大政党(キリスト教社会党と民主行動党)による政治支配が1958年以来のこの国の歴史である。そして、石油産業を支配する一握りの富裕層が富を握り、国民の8割が貧困に喘ぐといういびつな状況が続いていた。1990年代には、市場万能主義のアメリカ型資本主義が浸透し、貧富の格差はさらに広がった。
カラカス東部の小中高一貫校の教頭、ソニア・グラテドルさんは「世界第5位の原油輸出国なのに、なぜ私たちは貧しいのか。国民の多くは国営ベネズエラ石油(PDVSA)の幹部とその顧客、米国が富を奪ってきたからと考えている」と語る(『毎日新聞』2003年2月6日付朝刊)。
この利権構造の打破による貧困層の救済を目指して登場したのが、元中佐のウーゴ・チャベス(Hugo Chavez)である。 続きを読む アメリカに物申した男─ウゴ・チャベス