果たせぬ国家貢献への思い、東方政策『NNA経済情報』2003年10月29日付

 マハティールが首相就任早々に打ち出した東方政策。欧米への強い反発心から、アジアに日本という経済発展の成功モデルを見出し、自国の新しい国づくりに利用した。同政策に伴う日マ関係の緊密化は、「東アジアの奇跡」を結果としてマレーシアにもたらし、マハティールをASEANの盟主に担ぎ上げた。後継者のアブドラは同政策の継承を表明しているが、解決すべき課題も多々ある。日マ新時代の幕開けとともに、東方政策にも新機軸を打ち出すことができるのか。アブドラの手腕が試される。(玉井諭)
 1981年7月、首相に就任したばかりのマハティールは首相官邸に有田武夫・駐マレーシア大使(当時)を招きこう告げた。「わが国は、日本と韓国に学ぶルック・イースト政策を採る。協力を願いたい」(坪内隆彦著『アジア復権の希望マハティール』)。日本とマレーシアの2国間関係の象徴となった東方政策の始まりだった。
 マハティールは戦後の日本に経済成長をもたらした原動力が、個人の利益よりも集団の利益を重んじる価値観と規律・忠誠・勤勉といった労働倫理にあると信じていた。マハティールの考えは、これらを日本から直接学び取ることで、自国の開発独裁型の経済発展に活かすことだった。
日本政府はマハティールの唐突ともいえる提唱に戸惑ったが、マハティール政権を支援することで日マ関係を強化し、さらには東南アジアでのプレゼンスを高めることにつながると判断。要請の受け入れを決定した。

■「国家の発展のために」
 東方政策のもと、82年に産業技術・経営実務研修生、84年に大学・高等専門学校への留学生の1期生がそれぞれ日本に派遣された。ねらいはマレーシアの経済発展の柱となるマレー人の育成だった。
 「日本で学んだことを、1人(の留学生)が5人(のローカルスタッフ)に伝えていけば、波及効果となって国民の間に広く浸透していく」。
東方政策で留学した学生の同窓会ALEPSの会長ザバ・ヨウンさんは、マハティールがこう語るのを何度となく聞いた。東方留学生・研修生の1人1人が知識や技術を国民に伝播することへの期待の表われだった。
 ザバさんは84年に高専に留学した東方留学1期生。国営放送RTMの電気技術者として働いていた時、突如政府から日本行きを命じられた。「日本に特別な関心があったわけではなかったが、国家政策とあっては選択の余地はなかった」。
 当時は現在のような留学前の研修プログラム(1年8カ月)も準備されていなかった。日本語がわからない不安と未知の世界への期待。「国家の発展のために」という使命を胸に、60人の仲間とともに慌ただしく日本へ旅立ったという。
 マレーシア政府は国費で03年までの22年間に、1万人を超える若者たちを専門的な知識と技術を身に付けさせるため送りだした。マハティールの息子もその1人。現在もマレー人を中心に1,600人の留学生が日本各地の大学や高専で学んでいる。

■日系企業支える東方留学生
 東方政策の開始を合図に、日マ経済関係は緊密化の一途をたどった。両国間の貿易は急速に拡大、日本から大量の民間投資と政府開発援助(ODA)がマレーシアに流れ込んだ。
 三菱自動車工業との合弁で東南アジア初の国産車プロトン・サガの生産を手掛けたことは日マ技術協力の象徴的な事例となっている。
 特に、85年のプラザ合意以後は、円高を背景とした日本企業の海外進出ラッシュに合わせ、大幅な外資規制緩和策を実施。マハティールは同政策で培った日本政府との太いパイプを利用して次々と投資の呼び込みに成功した(第3回・経済編参照)。
 マレーシア進出日系企業の活動を支える「橋渡し」の役割を担ったのが、日本で文化と技術を学び帰国した東方留学生・研修生たちだった。東方政策の留学生派遣で資金協力を行っている国際協力銀行(JBIC)の青晴海・クアラルンプール駐在員事務所首席駐在員も、「日系企業にとって活動しやすい基盤を作ってくれている」と評価する。

■空振りする国家貢献への思い
 国家のために貢献したいというのが東方留学生の共通した思いだ。だが、3,000人の会員を抱えるALEPSによると、東方留学生の多くがその機会が持てないことに不満を募らせているという。
 彼らの8~9割が就職するのが日系企業。単に通訳としてしか見られず、日本で学んだ専門的知識や技術をローカル・スタッフに伝える権限を持たせてもらえないことへのいら立ちがある。
 技術移転も当初のねらい通りの成果をあげていないとされる。ある元留学生は「日本に留学させてくれたお礼を技術移転という形でしたいがそのチャンスがない」と不満をぶちまけた。
 さらに、ALEPSの調査では、最近、日系企業にとっては人材の流出といえる現象が起きている。日本に留学後、待遇がよく昇進のチャンスにも恵まれた欧米系企業に最初から就職する例が増えているほか、日系企業に就職した者も、しばらくして欧米系企業に転職したり、自分でビジネスを始めるケースも目立っている。
 会長のザバさん自身も、6年間働いた某日系電機メーカーを辞め自ら事業を興した。「技術的にも十分貢献したのに、待遇面で全く評価されなかった」とその理由を説明する。

■迫られる課題への取り組み
 次期首相となるアブドラは7月、訪問先の東京で、「前の世代からの政策を継続していく。外交についても同様だ」と述べ、日本との連携を重視する立場から東方政策を堅持する姿勢を表明した。
 だが、留学生を通じての技術移転がねらい通り進んでいないことにどのように取り組んでいくのか。アブドラは東方政策の織Vしい方向性については口を閉ざしたままだ。
 日本の政府関係者はこう指摘する。「マハティールが創り出し推進してきた路線(東方政策)を、アブドラは今後どのように自ら味付けし、独自色を打ち出しながら継承していくのか見えてこない」。
 一方、在マレーシア日本大使館、JBIC、国際協力機構(JICA)、マレーシア日本人商工会議所(JACTIM)など日本サイドは、東方政策の新しい枠組みづくりに向け動き出した。昨年秋から今年春にかけて東方留学生の動向調査を実施。優秀な人材の確保、東方留学・研修生の人材活用、技術移転の促進に向け新機軸を打ち出すべく検討を行っている。
 「人材育成でのマハティールのねらいはほとんど達成されていない」。青春を東方政策に捧げたザバさんたちの指摘は重い。日マ新時代の幕開けとともに、東方政策も大きな分岐点にさしかかっている。

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