近松矩弘による同志結集─『子爵 田中不二麿伝』より

文久二年以降の近松矩弘の動きについて、『子爵 田中不二麿伝』は以下のように記している。
「文久二年に至つて天下勤王の徒益(ますます)奮起した、我尾藩は佐幕党の為に擁蔽せられ正義の徒進むを得ず、矩弘等悲憤に堪へず、同藩角田久次郎、山崎總右衛門、間島万次郎、梶原小六等と計り奸臣を除き正義を挽回せんことを主張し熱田神宮文庫へ同志を招いた、会するもの八十余名前藩主慶勝をして国事に與らしめ姦を退け正を進めん事等を乞ふの書を裁し相伴ふて成瀬正肥の邸へ至り矩弘首として之を面珍し若し猶予あらば同志の者一同東下して斃而已までの周旋せんと言つた、正肥其過激を戒め且不日之が処分せんことを諾した、因て一同東下の義は暫く中止した、而して此ことを佐幕党の聞く所となつて、熱田文庫の使丁を拘引して、顛末を詰問した、使丁は侠気があつて只和歌の会ありしのみと告げて、其他は言はず久しく獄に繋がれた、又神官林相模守と云ふものは正義を賛助せしを以て謹慎せしめられた、この月正月江戸に至り数日ならずして竹腰等幽閉せられ如雲等は復職し慶勝が国事に與ることゝなつた」

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