東南アジア料理論⑨

納豆
醗酵文化圏(9日目)
インドネシアだけでなく、東南アジアのあちこちに納豆は存在する。タイ北部には、トゥア・ナオという納豆がある。煮てやわらかくなった大豆を、大きな木の葉やバナナの葉を敷いた竹籠に入れて三日ほど置いて作る。そのままカレー風味のスープにいれて食べたり、トウガラシ粉と塩を混ぜて、バナナの葉に包んで蒸し、飯のおかずにする。薄い円盤状に成型して、天日乾燥をすると、数カ月保存することができる。これがナットウせんべいである。フィリピンにはタフレ(tahure)という納豆がある。 
東南アジアだけではない。興味深いことに、ネパールにもキネマという納豆がある。
納豆(日本)、テンペ(インドネシア)、キネマ(ネパール)を結んだ「三角地帯」は、「大豆食品トライアングル」と呼ばれることもある。世界の代表的な大豆加工食品の産地はこの圏内にあるわけだ。故・中尾佐助・大阪府立大名誉教授が栽培植物の起源を訪ねる旅をしている時にチベットの納豆、キネマと出合い、納豆の大三角形を直感したという。
中尾教授が学んだ京大農学部は、もともと木原均氏、今西錦司氏らの学術探検が盛んだった。こうした影響から、中尾氏も一九三八年から中国やモンゴル、ネパールなどを探検して回った。そして一九五八年、大阪府立大助教授のときにブータンを単身調査することになったのだ。
照葉樹林帯の植物や、絹、茶、漆、シソ、納豆などの習俗文化にふれ、ビルマ・ベトナムの北部から中国南部、日本へと連なる照葉樹林帯の文化に着目した。
インド・アッサム地方から中国・雲南、華南、そして日本の南西部にかけて神話や伝説、儀礼、習俗など共通する文化要素が多い。かつてこの地域を覆っていたのは、「葉が光る樹」、すなわちツバキ、カシ、シイなどの照葉樹林だ。温暖多湿の照葉樹林帯は微生物に恵まれ醗酵文化を育む。豆腐、もやし、味噌、醤油など最も発達した「発酵文化圏」を発展させた。発酵食品の歴史は古く、味噌や醤油の原形は紀元前三〇〇〇―二〇〇〇年頃にはあったとされている。
特に、雲南と日本の共通点は注目に値する。中国西南部の雲南省は二十五の少数民族一千万人以上(省人口の三分の一)が生活する中国最大の少数民族の古里である。
雲南には、歌垣の風習がいまも残されている。歌垣というのは、春秋に多数の男女が飲食を携えて山に登り、男から女に歌を歌いかけ、女が返す、という形で妻問をする風習(また、その場)。万葉集や常陸国風土記に見え、常陸の筑波山や大和の海柘榴市で行なわれたものが名高い。雲南では、それが継承されているのだ。
「日本人のルーツを求める」という調査主旨に、雲南ほどふさわしい場所もない。市場を歩けば、納豆だけでなく、味噌、豆腐、ラッキョウが並ぶ。日本と同じ後景が飛び込んでくるのである。人々は、そうした食生活を送り、石けりやコマを回して遊び、げたを履き、稲を神とあがめる。
雲南の食文化を理解することは、東南アジアの食文化を理解することでもあり、それは日本の食文化のルーツを考えることでもある。

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