金ケ江清太郎が見たフィリピンの大亜細亜主義者ピオ・デュラン博士②

 フィリピンの大亜細亜主義者ピオ・デュラン博士に関する、金ケ江清太郎『歩いて来た道―ヒリッピン物語』(昭和43年)の記述。
 〈…終戦後は、対日協力者としてモンテンルパ刑務所に監禁されていたが、この人について今も忘れられない、一つの思い出がある。
 それは、モンテンルパから釈放された氏が、郷里から出馬して下院議員となり、戦後問もなく二番目の新夫人を同伴、来日したことがある。その時は、まだヒリッピン大使館がなくて、ヒリッピン代表部の代表だったメレンショ氏の公邸で会ったことがある。デュラン氏はわたしの顔を見るなり、驚いた声でこう叫んだものだ。
 「ミスター金ケ江、武士道の国ニッポンは、いったいどこへ消えてしまったのかね?!」
 君主国日本に憧れていたデュラン氏の脳裡にあった、忠君愛国のイメージは、敗戦の虚脱のなかで混迷している日本の姿に接して、はかなくも、音をたてて崩れ去ったものらしかった。その驚きと失望のうちに語るデュラン氏の述懐は、次のようなものであった。
 同氏は、かねてから新夫人に向かって、日本ほど素晴らしい国はない、と口をきわめて礼讃し、わがことのように自慢していたという。
 「日本の善良な国民は、天皇陛下をうやまうこと神のごとく、たとえば乗っている電車が、天皇のおいでになる皇居の前を通る時は、乗客はみんな起立して、皇居に向かってさい敬礼するし、また日曜日には、ヒリッピン人が教会へお詣りするように、市民たちは朝早くから皇居前の二重橋という所へ行き、そこに跪ずいて両陛下を遥拝し、老いも若きも忠誠を誓うのだよ。こんな国民は世界広しといえども、この日本よりほかにはないんだ。なんと素晴らしい国民じゃないか」
 ちょうどその日が日曜日だったので、デュラン氏は夫人を呼んで、
 「お前は、三宅坂の教会に行って、ミサのお詣りをしてくるがいい。わたしは、これから二重橋へ行って、両陛下を遥拝してくるから」
 そう言って一緒に宿舎を出たデュラン氏が、二重橋まで来てみると、脆ずいて遥拝している敬虔な日本人の姿は一人もなく、そのあたりを若い男女が手をつないで、楽しそうに散歩している意外な光景が限に映り、まるで、マニラのルネタ公園にでも立っているような思いがしたデュラン氏は、思わず眉をひそめて、
 「ここが日本の二重橋か……」
 と、思わず口走しったというのである〉(続く)

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