東南アジア料理論⑤

馴鮓
スシの起源(5日目)
「スシの起源は東南アジアにある」。そう書いたら、「えっ? スシは日本のオリジナルでしょ?」と即座に反論されるかもしれない。だが、日本のオリジナルはあくまで酢を使った現在のスシ。一六七三年(延宝年間)に四谷の医師、松本善甫が酢を使う「早ずし」を考案したことにはじまるとされているから、せいぜい三百年余の歴史しかない。江戸前のにぎりずしの発祥は江戸、文政年間(一八一八-三〇)のころだから、もっと歴史は浅い。 
スシの原型、馴鮓(なれずし)はもっともっと古い時代まで遡る。馴鮓は、東南アジアから中国などに伝わり、そして日本に入ったものだとされている。今も、馴鮓は日本各地にある。近江、すなわち滋賀県琵琶湖湖畔に伝わる珍味、鮒ずしもその一つだ。
「すっぱくて、臭い。とても食べられない」という人もいるが、一方で「日本酒のつまみに最適だ」とその特別の味を絶賛する人もいる。「熱湯や渋茶を注いで吸物として食べると美味しい」という人もいる。鮒ずしは、琵琶湖でとれたニゴロブナを塩漬けにし、飯の中に漬け込んだもの。春、内臓やウロコ、エラを除いた子持ちのニゴロブナを塩漬けする。夏の土用のころに、一度その鮒を取り出し、丁寧に水洗いしてから今度はご飯で漬け込む。そして正月頃にようやく漬け上がる。
もともと馴鮓は、魚介、鳥獣肉を保存、貯蔵するために考案された。ごはんの乳酸発酵によって保存性を高めたのである。まさに、醗酵による保存というバイオテクノロジーが、東南アジアには古くからあったということである。乳酸菌が消化・整腸を促すことから、健康食品としての潜在力も秘めている。
馴鮓というのは、独特の味がしみこんだ魚だけを食べたもので、これが魚も飯も食べる「生成(なまなれ)」に発展する。そして、うまいすし飯を手っ取り早く作るために、酢や古酒を使った「押しずし」が発明され、やがてそれが発展して(インスタント化して)現在のスシになったわけだ。
『魚醤とナレズシ』の著者、国立民族学博物館の石毛直道教授は、「馴鮓はメコン川流域の東北タイからラオスにかけての場所で発生し、水田稲作とともに各地に伝播した」と推測している。
石毛教授はまたこう述べている。「魚醤は、魚に塩を加えて腐敗を防止しながら発酵させたものです。そこに飯をプラスして乳酸発酵させたものが、ナレズシなわけです。ナレズシは一元起源、つまりどこか特定のところで考案され、それが広がったのでしょう。水田で作った米とそこにいる魚、つまり水田漁業があって生まれたと思えるのです」(「朝日新聞」一九九〇年五月三十一日付夕刊)。
確かに、東南アジア一帯にはいまも塩辛と同じように馴鮓が残っている。ラオスにはコイ科の魚に塩をまぶし、蒸したもち米でつけ込んだ馴鮓、ソン・パー(son pa)がある。
タイにはプラ・ソム(pla som)、プラ・ラー(pla ra)、ミャンマーにはンガチンヂン(ngakyang khyng)、カンボジアにはファーク(phaak)、マレーシアにはイカン・マシン(ikan masin)、フィリピンにはブロン・イスダ(burong isda)がある。
この東南アジアの馴鮓が各地へと伝播していったのだ。
現在馴鮓は、東南アジア一帯、日本、中国の一部、朝鮮半島、そして西はインドにまで拡がっている。
中国では、現在では西南部の少数民族の間でしか馴鮓は食べられていないが、かつては広く食べられていた。遅くとも、後漢の時代(紀元二五―二二〇年)には馴鮓が食べられるようになり、随・唐の時代を経て、南宋時代(一二~一三世紀)に馴鮓全盛時代を迎えた。ところが、魚を食べない蒙古人支配の元の時代に、馴鮓は衰退する。やがて清朝中期以後は、西南部などを除いて姿を消してしまった。

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