西本省三「之を如何、之を何如」より(『支那思想と現代』)

日本人自ら「如之何如之何」を繰り返すべき
〈子日く「之を如何、之を如何と曰はざるものは、吾れ之を如何ともするなきなり」と、朱子之に註して「之を如何、之を何如とは、熟思して審かに慮するの辞なり、是の如くせずして妄りに行はゞ、聖人と雖も亦之を如何ともするなし」と。…日支は離して見ないで、渾一体に考へねばならぬものであからソレ丈け日本人は支那問題に対し、常に「如之何如之何」とて大に審慮して居るけれども、更らに天啓直示がないで支那はドーなるだらう、支那はドー経綸したら好いだらう云つてるのみである。支那人に「如之何如之何」と繰返さしむることを求むるよりも、先づ日本人が之を繰返し、上下心を一にし、王道を以て支那に臨み、徳を積むことの難有きを身体心得し、日支両国を永久に打算し、往々陥り易き小刀細工の策を罷むることにせねばならぬ、然らざれば百千の対支政策を建つるも、這は本を揣らずして其末を齊ふせんとするの類に過ぎない、何等の役に立たずして、益々日支の間を乖離せしむるのみである〉
(大正9年3月1日)

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