書評 保田與重郎『ふるさとなる大和』

 本書は、保田與重郎の子供向け作品四点(神武天皇、日本武尊、聖徳太子、万葉集物語)を収録したものである。もともとは「子供向け」だが、今日にあっては大人を含めて広く日本人が知っておくべき内容を含んでいる。

 「推薦の辞」で京都産業大学名誉教授のロマノ・ヴルピッタ氏が書いているように、保田の文芸批評家、政治評論家、教育者としての活動はすべて、日本文化を防衛し、維持し、そして次世代へ伝承していくという志から発生して、同じ目標に向かっていた。保田が目指した教育とは、いかなるものだったのか。

 〈教育において知識はそれほど重要ではなく、主な目的は人間の形成であることを保田は主張した。これは東洋的教育の理念によるものである。東洋の教えとは、道義を尊び、人類の崇高な理念を確立することであり、そのために「克己」の精神を養うということは根本である。つまり、自己を抑え、欲望の世界を離れることだ〉(4頁)

 日本文化の行方について、若い世代を頼みにしていた保田は、彼らを対象に本格的な教育活動を展開していた。保田の弟子たちが保田を会長に戴き、昭和三十二年に創立したのが、新学社である。同社から昭和三十八年四月に刊行された『規範国語読本』は保田が単独で編んだものである。

 同書は、中学生向きの国語の副読本で、近代日本をつくった本質的な第一流の人々の、すでに古典的な権威を認められた著作のみを集めて、時代の精神と態度を学び、日本人としてのものの考え方や心ばえを身につけさせることを目的に編んだ、という。奈良時代の歌人大伴家持から、現代の詩人佐藤春夫まで二十二人が収録されている。

 本書もまた『規範国語読本』と同様に、日本人としての人間形成に極めて有益な作品からなっており、戦後失われてしまったわが国の教育の理想を回復しようという保田の願いを体現したものとなっている。ヴルピッタ氏は、四つの作品を日本精神史の重要な節目を示していると指摘している。

 まず、国体理念の創設者として描かれた「神武天皇」では次のように書かれている。

 〈「日本書紀」には神式天皇のご即位の時のお言葉がしるされていますが、その中に「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と為さむ」とのお言葉があり、これは世界を一つにした都をひらき、天の下を一つの家としようという理想を著されたものと解釈する人が多くいます。このことは力で世界を統一するという思想とのけじめがまぎらわしいのですが、わが国の建国の理想には力による支配の思想がないということは、高天原で神がみがなされていたと同じように、この土地に米を作って、この地上の国を高天原と同じ神の国とするという神の教えがさきにあるからです。この神の教えが、わが国のすべての大本となっているのです〉(40、41頁)

 続く「日本武尊」は、保田の言う「偉大な敗北」の原型でもある。彼にとって、日本武尊は文学になりうる悲劇的英雄であった。評論集『戴冠詩人の御一人者』で保田は、日本武尊について「尊はなすべきことをなし、あはれむべきものをあはれみ、かなしむべきものをかなしみ、それでゐて稟質としての美しい徒労にすぎない永久にあこがれ、いつもなし終へないものを見てはそれにせめられてゐた。それはすぐれた資質のものの宿命である。このために言挙しては罪におちた。しかし尊は詩人であつたから、その悲劇に意味があつた。まことに尊上の凱旋の如きを軽蔑してゐた」と綴っていた。

 本書では、平易な文章でこの悲劇的英雄の生涯を描き、力尽きる前に、伊勢国能褒野で大和をしのんで詠んだ「倭は、国のまほろば/たたなづく 青垣山/隠れる、倭し 美し」などの歌が引かれている(70頁)。

 「聖徳太子」では、十七条憲法を紹介し、「この太子の憲法は、原文は漢文で、その文句や字句は、それぞれシナの重要な古典によりどころがあって、これをつくられた太子の学識の深さは、驚くべきものであります。しかし太子の憲法の立派さは、日本の国の本質に立って、すべてを調和し、日本の本質を一層明らかにし、純化されたところにあります。太子でなくてはできなかった、ありがたいところであります」と書いている(98、99頁)。

 万葉集を日本文学の出発点とみなしていた保田は、『万葉集の精神』以来ずっと万葉集を論じ続けたが、「万葉集物語」では、大伴家持、雄略天皇、柿本人麻呂、天武天皇、大伯皇女、舎人皇子、大伴旅人などを描きながら万葉集の尊さを巧みに伝える。

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