大石凝真素美と古神道

水茎文字と天津金木


天保3(1832)年11月、近江国甲賀郡油日村(現滋賀県甲賀郡)に生まれた 大石凝真素美 ( おおいしごりますみ ) (明治6年までは望月大輔)は、真言密教、天台密学を学んだ後、京都で尊王攘夷の志士と交流していた。36歳の時に、美濃国不破郡宮代村の修験者・山本秀道に弟子入りしている。大石凝は、山本とともに俵佐村の勝宮(勝神社)で、鎮魂帰神法を実践していたとされる。

大石凝真素美『古神道の本』36頁

大石凝が修業した山本家『大石凝真素美全集 解説編』

 

 一方、大石凝は祖父の望月幸智を通じて、山口志道、中村孝道の言霊学)を継承していた。明治11~12年頃、大石凝は大和巡遊の帰途、沖の島の南面を過ぎるときに、水面に「ア、オ、イ、エ」というように、字が見える現象を体験したとされる。これが、中村孝道伝の水茎文字である。ちなみに、出口王仁三郎は高熊山で霊的体験をした前後に、大石凝に伴われて琵琶湖へ行き、水茎文字を見たとされている(出口京太郎『巨人出口王仁三郎』講談社、1967年、368頁)。
大石凝は明治36(1903)年春に『大日本言霊』をまとめている。この書は大正2(1913)年には、後述する弟子の水野満年により展覧にも供されている。同書において、大石凝は日本語の清音、濁音、半濁音の75音の音韻に秘められた音義を明示、75段の音の階程は宇宙存在の階層秩序であるとした(大宮司朗「大石凝真素美全集解題」24~25頁)。大石凝の「音と形象の融合」という理念は、山口志道の体系と通底すると指摘されている(大宮司朗・武田洋一「大石凝真素美とその霊的遡源」47頁)。
神人合一によって宇宙の成り立ちを知ろうという古神道の伝統は、太占と呼ばれる占いにも見られる。もともとは、鹿の骨を焼いてできる割れ目の形によって吉凶を知る占いだが、大石凝は天津金木(あまつかなぎ)と呼ばれる太占を発展させた。大宮司朗氏は、「水茎文字は本源的には端組木文字であり、天津金木の組合わせによって構成される」と説明している(「大石凝真素美とその霊的遡源」48頁)。
天津金木によって、天地開闢の有様から、生成化育する宇宙の進展の様相、宇宙に働く根本原理、森羅万象など、あらゆることがわかるとされる(『古神道の本:甦る太古神と秘教霊学の全貌』学研、1994年、105、109、129~132頁)。彼は、伊勢外宮で最も神聖視される神器・御樋代(みひしろ)を示す正霊体等、天津金木によって森羅万象を読み解く図を描いている。
 

大石凝真素美の正霊体『古神道の本』105頁図⑦

大石凝は明治11(1878)年頃から本格的に『古事記』の奥義に取り組み、晩年には『法華経』と『古事記』の密合を目指した。明治40(1907)年秋に名古屋で唯一仏教団を主宰する清水梁山を訪ねている。ここで、彼は水谷清、水野満年、朝倉尚絅の3人の弟子を得た。彼らによって、大石凝の思想は継承されていく。

関連書

 

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年
不二龍彦 日本神人伝―日本を動かした霊的巨人たちの肖像 学習研究社 2001年
大石凝真素美全集 解説編 大石凝真素美全集刊行会 1981年
大石凝真素美全集 第3巻 真訓古事記 上の巻 大石凝真素美全集刊行会 1981年
大石凝真素美全集 第2巻 天津神算木之極典 大石凝真素美全集刊行会 1981年
大石凝真素美全集 第1巻 天地貫きの巻 大石凝真素美全集刊行会 1981年

 

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