田中清玄とアジア連盟構想

橘孝三郎と三上卓を尊敬

 田中清玄は、明治39年3月5日に北海道亀田郡七飯町で生まれた。東京帝国大学在学中に日本共産党に入党、後に書記長に就いた。だが、昭和5年に治安維持法違反容疑で逮捕され、無期懲役となる。母の自殺などを経て獄中で転向する。
 戦後は、興亜思想に基づいて、タイの復興に尽力したほか、インドネシア等に人脈を築く一方、尊敬する民族派は橘孝三郎と三上卓と語っていた。
 彼は、周恩来、スハルト、リー・クアンユー、マグサイサイといったアジアの中心的な人物を日本に呼んで、アジア連盟を作る夢を持っていた。まず、彼はマグサイサイを日本に呼ぼうとした。ところが、その矢先にマグサイサイは殺されてしまった。だが、彼はその後もアジア連盟の夢を捨てなかった。1980年には、スハルトを訪れた後、その足で中国を訪問、鄧小平と会談してアジア連盟構想を提案している(『田中清玄自伝』文藝春秋、1993年、298ページ)。
 オットー・フォン・ハプスブルクやフリードリヒ・ハイエクらとも親交を結んだ。


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