興亜論者とユーラシア主義

 1926年、大川周明が率いる行地社から一冊の本が刊行された。『西欧文明と人類の将来』である。
 この本の翻訳を手がけたのは、行地社のメンバーでもあった嶋野三郎である(嶋野については、満鉄会・嶋野三郎伝記刊行会編『嶋野三郎 満鉄ソ連情報活動家の生涯』原書房、1984年)。嶋野はロシア通であるばかりか、イスラーム通でもあり、トルコ系ムスリムのムハンマド・クルバンガリーと深い交流を続けた。『産経新聞』2002年3月12日付の「この国に生きて 異邦人物語54 モスクを建てた亡命タタール人」は、嶋野が残した北一輝の逸話を紹介している。
 「クルバンガリーの来訪を非常に喜び、『自分は「日本改造法案大綱」というものを書いたが、その中で、あんたがくることを予言しておる』とやった。北は西欧の侵略からアジアを解放するため、中国西北部にイスラム帝国を作る夢を持っていた。
 さらに、『あんたはこれから日本の朝野を啓発して支那に渡り、その西北地区のマホメット教徒を率いて共産ロシアに攻め込みなさい。不肖、北、及ばずながら援助しよう』と語ったという」
 クルバンガリーと交流した日本の興亜論者の中に、ロシアのイスラーム性、東方性に関する強い関心があったことは間違いない。
 嶋野が翻訳した『西欧文明と人類の将来』こそ、ユーラシア主義(евразийство)のイデオローグ、ニコライ・トルベツコイ(Nikolai Sergeevich Trubetskoi/Николай Сергеевич Трубецкой, 1890-1938)の著書なのである。
 ロシアのユーラシア主義はソ連時代には封じ込まれていたが、長期的にはロシアとイスラーム圏、アジア諸国との関係に重要な影響を与える思想となるかもしれない。
 では、日本の興亜論者の関心を掻き立てたユーラシア主義とはいかなるものであったのか。以下、黒岩幸子氏の「ピョ-トル・サヴィツキ-の思想と今日的意義・現代ロシアのユ-ラシア主義復権」『総合政策』(岩手県立大学総合政策学会)2000年11月、183~198頁などに基づいて考えてみたい。
 ユーラシア主義は、トルベツコイが1920年に亡命先のソフィアで発表した「ヨーロッパと人類」を起源とする。翌1921年、トルベツコイはピョートル・サヴィツキー(Петр Николаевич Савицкий, 1895-1968)、ピョートル・スヴチンスキー(Петр Петрович Сувчинский, 1892-1985, 音楽・文学)、ゲオルギー・フロロフスキー(Георгий Васильевич Флоровский, 1893-1979, 哲学・神学・文化史)とともに、論集『東方への脱出 予感と成就』を出版して、亡命ロシア人の間に大きな反響を呼んだ。
 ユーラシア主義は論者によって力点の置き方がさまざまだが、共産主義の否定、ロシア正教の重視、ユーラシアとしてのロシア史・文化の見直しなどで共通する。その根底にあるのは、西洋近代への懐疑ではなかったか。当然のこととして、西欧型世俗主義への批判と精神性や共同体志向を維持するアジア的理念への再評価という傾向が見られる。これこそが、興亜論者がユーラシア主義に注目した理由であったに違いない。
 サヴィツキーらのユーラシア主義者たちは、ロシア革命を西欧化の帰結と捉えていた。「ピョートル大帝以降のロシアは、歴史も文化も西欧とは異質な土壌に、ひたすら西欧的発展を植え付けようとして、ロシアが本来たどるべき道とはまったく違う方向に進んでしまった。西欧を崇拝し、幼子のように模倣に努めた結果、西欧の啓蒙主義から生まれた実証主義、ニヒリズム、唯物論が、また無神論、マルクス主義が、そして最後にそれらすべての熟しきった果実である共産主義がロシアにもたらされたのである」と。
 そして、「むしろ多民族国家として成長する以前のロシアには、想像以上に東方のモンゴル=トルコ系の伝統が強かった。このことはしばしば意図的に無視されるか、過小評価されがちである」と指摘した(山内昌之『ラディカル・ヒストリー』中公新書、1991年、21頁)。
 ユーラシア主義者たちは、従来「屈辱の時代」と位置づけられてきた13-15世紀の約250年にわたるモンゴル・タタールによるロシア支配時代を肯定的に評価した。
 一方、廣岡正久氏は、「ビザンチン(東ローマ)とモンゴルの両帝国を含む東西両世界を結合し、しかも独自な歴史発展を辿った「地理的、文化的世界」としてロシア=ユーラシア国家を描き出した点」がユーラシア主義の核心であるとし、その主張を次の4点に要約する(廣岡正久「新しい国家像を模索 ロシアと『ユーラシア主義』」『読売新聞』1997年11月21日付夕刊)。

  •  ロシア(森林地帯の定住スラブ人)とアジア(ステップ遊牧民)との有機的な結びつき
  •  ロシアとヨーロッパとの歴史的、文化的異質性
  •  ユーラシアの地理的空間において展開したロシアの国家発展の特異性
  •  精神的基礎としてのロシア正教

 ソ連崩壊後、様々な形態でユーラシア主義の思想は展開されるようになっているが、それはアメリカ主導の国際秩序に対する批判論とも合流していく。
 黒岩幸子氏が紹介している通り、広範な反米勢力の結集を目指すドゥギン(ALEKSANDR DUGIN)は「ネオ・ユーラシア主義は、大西洋主義およびその価値観である市場、自由民主主義、非宗教文化、個人主義哲学などの文明システムによる世界支配を否定する、地球規模の戦略の完全な扇を構築する要となりうる、唯一の理論的綱領である」と述べている。
 いずれにせよ、ロシアとの関係を考える上で、ユーラシア主義的思想が無視できない要素となっていることは間違いなさそうだ。

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