「アンワールとウォルフォウィッツの知られざる関係 明日のアジア望見 第76回」『月刊マレーシア』500号、2008年11月15日

 マハティール前首相は、新自由主義との戦いの一線に立ってきた。その戦いのピークは、一九九七年のアジア通貨危機に際して起こった国際通貨基金(IMF)とマレーシアとの論争であった。
 マハティールは、IMFが誘導する新自由主義的経済政策の導入を拒否した。その理由の一つは、個人の自由に力点を置く弱肉強食の経済政策がアジア社会になじまないと考えたからである。しかも、マレーシアは中国系住民と比較して経済的に弱いマレー系住民を優遇する「ブミプトラ政策」を継続している。新自由主義の導入は、この社会的安定の根幹である政策の放棄を余儀なくされる可能性があったのである。
 このとき、IMFの要求に前向きに対処していたのが、アンワール・イブラヒム副首相(当時)であった。結局、彼は一九九八年に同性愛容疑で逮捕され、二〇〇二年に、捜査を妨害したとして職権濫用に問われた裁判で有罪が確定した。同性愛裁判については二〇〇四年に連邦裁が無罪判決を言い渡していた。
 さて、この間二〇〇三年一〇月にはアブドラ・バダウィが首相に就任したが、今年三月の選挙で与党連合・国民戦線(BN)は大幅に議席を減らし、マレーシア政治の状況が不透明になってきた。
 本連載第七四回(四九八号)で書いた通り、マハティールはアブドラ政権に対する批判を強め、五月一日には自らブログを立ち上げた。そして、五月一九日には、与党・統一マレー国民組織(UMNO)を離党し、アブドラが辞任しなければ復党しないと表明した。アブドラ首相が七月一〇日に、二〇一〇年半ばをめどにナジブ副首相に政権を委譲すると表明した。
 しかし、九月一〇日、UMNOのムヒディン・ヤシン総裁補(通産相)は、二〇一〇年半ばの実現を目指す政権委譲計画について前倒しすべきとの考えを示した。こうした党内の異論を受け、同月一七日、アブドラ首相は、自身が兼務している財務相職をナジブ副首相に引き継ぐと発表、一〇月八日には、二〇〇九年三月に退陣してナジブ副首相に政権を移譲すると表明した。
 なお、九月二六日、UMNOは、臨時の最高幹部会議を招集、一二月に行われる予定だった党役員選を二〇〇九年三月に延期することを決めた。だが、総裁選への出馬を表明しているUMNO長老のテンク・ラザレイ・ハムザ元財務相は、延期する理由は見当たらないと批判している。
 一方、世論調査機関のムルデカ・センターが八月一日に発表した調査によると、アブドラ政権に対する支持率は過去最低の四二%まで落ち込んだ。この間、UMNOペナン州幹部による「華人差別発言」によってBN内に亀裂が生じたこともあり、九月中旬にマハティールはUMNOへの復帰を表明している。
 こうした中で、アンワール元副首相の動向に注目が集まりつつある。今年四月一五日に政治活動禁止を解かれたアンワールは、政界復帰に意欲を示したが、六月二八日に助手だったモハマド・サイフル・ブカリがアンワールから同性愛を強要されたと告発、七月一六日に逮捕され、八月七日マレーシア司法当局はアンワールを同性愛の罪状で下級裁判所に起訴した。それでもアンワールは、下院議会ペナン州ペルマタン・パウ選挙区の補欠選挙に出馬、八月二六日に投開票が行われ、アンワールは三万一一九五票を獲得、BNから出馬したアリフ・オマル・シャー州議会議員に勝利した。
 確かに、アンワールはカリスマ性のある政治家としてマレーシア国民の一定の支持を得ている。しかし、彼には同性愛容疑以上に大きな問題がある。それは、マレーシアに新自由主義を持ち込みたいアメリカの一部、特にネオコンとの抜き差しならない関係である。
 アンワールが議長を務めていた「将来のための基金」(Foundation for the Future)が掲げる、「中東と北アフリカにおける民主主義と人権の促進」は、アメリカ新世紀プロジェクトに代表されるネオコンの目標とも合致しており、実際アメリカから三五〇〇万ドルの援助を受けている。
 特に、ブッシュ政権で国防副長官を務め、その後世界銀行総裁に就いたウォルフォウィッツとアンワールの関係は深い。ウォルフォウィッツは、交際相手のシャハ・アリ・リザを優遇したとして、世界銀行総裁辞任に追い込まれたが、今年に入り国務省の「国際安全諮問評議会」議長に就任している。シャハ・アリ・リザは、チュニジアで生まれサウジアラビアで育ち、オクスフォード大学卒業後、イギリス国籍を取得している。
 ウォルフォウィッツは、彼女を「将来のための基金」に転属するよう持ちかけていたともいう。
 アンワールとウォルフォウィッツの関係は、一九八〇年代半ばからのものである。アンワールは、一九八二年にマハティールの誘いでUMNOに参加し、一九八三年に文化・青年・スポーツ大臣に就任、急速に政治的影響力を強めつつあった。この頃、駐インドネシア大使を務めていたウォルフォウィッツは、アメリカの対外政策に沿う形で、東南アジア地域の穏健イスラーム勢力の役割に着目していたと推測される。一九九八年にアンワールが失脚すると、ウォルフォウィッツに連なるネオコンはマハティール政権批判の先頭に立った。アンワールは二〇〇四年に釈放されると、イギリスのオックスフォード大学聖アンソニー校教授職、ウォルフォウィッツが学長を務めていたジョンズ・ホプキンス大学客員フェローなどに就任している。
 アンワールが権力を握ったとき、マレーシアは新自由主義を導入し、国家政策の根幹ブミプトラ政策を放棄することになるだろう。
(二〇〇八年一〇月一三日)

コメントを残す