「国体思想に基づいた普遍的価値 明日のアジア望見 第75回」『月刊マレーシア』499号、2008年7月31日

外交において、共通の価値観という言葉が頻繁に語られるようになっている。そこで語られる価値観とは、多くの場合、西洋近代思想に支えられた人権や民主主義という価値観である。
それは、前政権で持て囃された「価値観外交」や「自由と繁栄の弧」に象徴的に示されていた。二〇〇六年一一月三〇日、麻生太郎外相(当時)は日本国際問題研究所セミナーでの講演で次のように語っている。
「第一に、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済。そういう『普遍的価値』を、外交を進めるうえで大いに重視してまいりますというのが『価値の外交』であります。第二に、ユーラシア大陸の外周に成長してまいりました新興の民主主義国。これらを帯のようにつなぎまして、『自由と繁栄の弧』を作りたい、作らねばならぬと思っております」、「我が日本は今後、北東アジアから、中央アジア・コーカサス、トルコ、それから中・東欧にバルト諸国までぐるっと延びる『自由と繁栄の弧』において、まさしく終わりのないマラソンを走り始めた民主主義各国の、伴走ランナーを務めてまいります」
この麻生外相の路線に沿って、日本は、アメリカ、オーストラリア、インド、欧州など「価値観を共有する」諸国との連携を強化しようとしてきた。例えば、日本とオーストラリアの間では、外務・防衛閣僚による安保協議を開催され、日米豪三カ国の戦略対話も進められてきた。こうした外交が、世界に民主主義を押し広げていこうというネオコン好みの外交であることは間違いない。しかし、四月一日の閣議で了承された二〇〇八年版「外交青書」では「自由と繁栄の弧」の表現は後退した。
麻生外相が演説の最後で、「日本外交には、ビジョンが必要であります」と強調した通り、外交においては、実利だけではなく、共通の価値観の共有が極めて重要である。ここで問いたいのは共通の価値観の中身である。
もちろん、民主主義、自由、人権などは、いずれも重要な価値観である。しかし、日本の国体思想から導き出される価値は、欧米の人権思想とは別物なのではなかろうか。かつて、大東亜戦争において日本人が英米思想の排撃を叫んだとき、西洋近代の超克という崇高な目標が伴っていた。例えば、京都学派の高山岩男は、「世界史の哲学」(一九四二年九月)で次のように書いていた。
「第二次大戦はイギリス及びアメリカの維持せんとするこの帝国主義に対する闘争である。従つて、そこには新たな世界観と新たな道義的理想とが貫いてゐる。……この道義的原理は近代ヨーロッパの自由主義や個体主義の形式倫理とは意義を異にし、従つてまた世界観を異にするものである」
また、開戦前の一九三九年九月には、近衛文麿のブレーンが結集した昭和研究会の文化研究会委員長として、三木清が「協同主義の哲学的基礎」をまとめ、個人主義と協同体主義を止揚しようという立場、人倫的関係を重んじると同時に人格、個性、自発性、自主性を重んじる社会の建設を提唱していた。
つまり、日本人はアングロサクソンの自由主義、個人主義を乗り越えようという志を持っていた。信奉する価値観の中身を人権や民主主義に限定することは、そうした志を無視することになりかねないのではなかろうか。我々は、人権や民主主義を守りつつも、その限界を忘れてはなるまい。
しかも、ネオコンに代表される、世界への民主主義の拡大というアメリカの外交路線には、各民族の歴史と伝統、経済発展段階を無視して押し付けようとする傾向が強い。日本の皇道主義思想家たちは、かつてそうした覇道的な外交自体を乗り越えようとしていた。例えば、今泉定助は、覇道的支配(「ウシハク」)に対して、天皇の御統治(「シラス」)とは、国土国民を親が子に対するように、慈愛の極をもって包容同化し、各処を得しめ給う統治だと説き、「シラス」の精神に基づく外交を対置した。
今泉は、「天津日嗣の天皇の世界統一とは、武力や財力や政治、宗教などを以て攻略したり、征服したりする意味ではない。武力、財力、政治、宗教などの統一は、外形の統一であって、よし一度は統一しても、決して永続すべきものでない」と述べ、「彼より我が徳を慕ひ風を望み、我が威厳を仰ひで助成を乞ひ、我の擁護を求めて統一を望み、我に心服し、我に同化し来るものを統一主宰する」ことが重要だとした。彼は、こうした精神に基づく外交が、本来の「八紘為宇」だと述べた。
つまり、我々は、日本の国体思想に基づいた普遍的な価値を基軸にして、共通の価値観を共有することを外交目標とすべきなのではないか。むろん、それは簡単なことではない。
ただ、少なくとも、「慈愛の極をもって包容同化する」というシラスの精神は、調和、共生の価値観の重要性に通ずる。その視点で見れば、聖徳太子の一七条憲法にある「和を以って貴しと為す」と中国の「和為貴」(和は貴いものである)とは、価値観を共有できる部分が大きい。東南アジアにも、「多様性の中の統一」を国是として掲げるインドネシアのように和や調和の価値観を重視する伝統が残されている。また、慈悲、寛容の精神は、アジアを広く覆う仏教的思想の中に脈々と生きている。
日本が国体思想に基づいた普遍的価値を掲げるならば、アジアの伝統思想との共通性を探るべきなのかもしれない。
(二〇〇八年七月二四日)

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