中野常太郎と亜細亜義会


中野常太郎(号は天心)は、明治期に日本の興亜陣営とムスリムの連帯を主導した人物である。慶応2(1866)年10月23日、加賀金沢で生まれた中野は少壮のときから東亜経綸に志し、興亜の先駆者・荒尾精、根津一の門に出入りした。黒龍会にも参加したとされる(サルジュク・エセンベル「日露戦争と日土関係」)。
明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。
中野と大原によって、頭山満、河野廣中、犬養毅を紹介されたイブラヒムは、「ひとつ我々で結社を作り、兄弟の契りを結んではどうでしょうか」と呼びかけ、明治42年6月7日に「亜細亜義会」設立に至る。亜細亜義会は、中野を発行人・編集人として機関誌『大東』を刊行している。

その後中野は、奉天に移り、「大亜義会」の名称でムスリムを含む興亜陣営の連携運動を継続した。大正5年3月には時の首相大隈重信に対して書簡を送っている。この書簡は、早稲田大学図書館に保管されている。

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