【書評】里見岸雄博士『天皇とプロレタリア』

 展転社から里見岸雄博士の『天皇とプロレタリア』が普及版として復刻された。『月刊日本』平成30年7月号に掲載した書評を紹介する。
 〈安倍政権が推進する新自由主義とグローバリスムによって、ますます貧困と格差が拡大しつつある。ところが、いわゆる保守派の多くはこの問題に沈黙している。本書は、そうした保守派に対する鋭い批判の書として読むこともできる。
 資本家の横暴に対する「無産階級」の反発が強まり、やがて昭和維新運動の台頭を迎える昭和4年に刊行された本書は、国体の真髄を理解しない為政者や「観念的国体論者」に強烈な批判を浴びせている。〉(後略)

「新田義貞・高山彦九郎ゆかりの地を訪ねる」

崎門学研究会主催「新田義貞・高山彦九郎ゆかりの地を訪ねる」。一般参加も歓迎です。

●日時:平成30年8月5日(日)
●集合時間:10時30分(18時解散予定)
●集合場所:太田駅(東武鉄道伊勢崎線)
●参加費:1000円(資料代として。交通費・入場料自己負担)

■新田義貞(1301~1338)
 後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉を攻撃、元弘3(1333)年幕府を滅ぼした。建武中興で、越後守・上野介や武者所頭人に任ぜられた。足利尊氏と対立。楠木正成とともに尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。足羽郡藤島で斯波高経と交戦中討ち死に。

■高山彦九郎(1747~1793)
 13歳の頃『太平記』を読んで建武中興の忠臣の志に感動。宝暦・明和事件などの幕府による勤皇派弾圧事件の挫折を乗り越えんとし、勤皇の大義を唱える。光格天皇の実父典仁親王への尊号宣下実現運動に奔走するも、幕府に追い詰められ、寛政5年6月27日久留米で自刃。

主な訪問予定地
 新田荘歴史博物館 新田氏の活躍した史跡「新田荘遺跡」に代表される歴史資料などを展示
 生品神社 新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて、鎌倉幕府を滅ぼすために挙兵した場所
 反町館跡 新田義貞が築城したとされる城館跡
 高山彦九郎記念館 彦九郎の旅と足跡をテーマとし、旅道具・書簡・日記などのほか、映像などを利用して分かりやすく紹介
 高山神社 明治6年(1873)創建。彦九郎を祭神として祀る

主催:崎門学研究会(orimoto1@gmail.com、090-1847-1627)

マハティール首相のアジア的価値観

 1990年代には、欧米とアジアでアジア的価値観をめぐる論争があった。アジア的価値観の擁護者マハティール首相は、どのような見解を持っていたのだろうか。『日本再生・アジア新生』(たちばな出版、1999年4月)から紹介する。

 〈まずアジアの価値観は、コミュニティと家族をベースとしている。個人の絶対的自由を享受する権利よりも、家族やコミュニティのニーズや利益を優先する。個人としての権利を主張する前に、家族やコミュニティに対する責任を果たそうとする。一方西欧の価値観は、明らかに個人の権利を強調する。アジアではコミュニティの権利を優先するので、もし個人が社会の権利を踏みにじるようなことがあれば、その人は、大多数の国民の権利を盗んで、自分の権利を追求している利己的な人とみなされる。
 アジアの価値観はまた、権威を尊重する。権威は社会全体の安定を保証するために、欠かすことができないといった認識がある。権威と安定なくして、文明社会は成り立たない。権威の存在価値を認めずに個人の権利を主張し、称えるならば、どんな社会も(たとえ西欧社会でも)、やがては無政府状態に陥っていくであろう。
 しかし、だからと言って、どんな形の権威も受け入れなければならないことを意味しない。また、私は独裁政治を支持しているのでもない。
(中略) 続きを読む マハティール首相のアジア的価値観

「アジアは繁栄してはいけないのか」─ノルディン・ソピー博士「EAEC:事実と虚構」

 1995年1月17日、日本マレーシア協会主催で「EAECを考えるシンポジウム」が憲政記念館講堂で開催された。ここで、マハティール首相のブレーンのノルディン・ソピー博士が「EAEC:事実と虚構」と題して基調講演を務めた。以下は、その講演録の一部である。EAECとはマハティール首相が1990年に提唱した東アジア経済協議体構想(当初は東アジア経済グループ構想)である。
 〈我々は日本に対してEAECに加盟するよう要請しているだけである。(中略)我々東アジア諸国が繁栄したいと望むことが、そんなに間違っているのだろうか。日本に対してその為のリーダーとなることを期待するのが、そんなに間違ったことなのであろうか。
 日本はアジアの国である、そして東アジアの国である。この地理的事実を避けて通ることは出来ない。つまり日本はこのアジアに属する国なのである。我々は日本に対して助けて欲しい、援助して欲しいと頼んでいるわけではない。この地域におけるリーダーになって欲しいと要求しているだけなのである。そして我々と共にこの機構に入って中心的な役割を果たして欲しいと要求しているのである。日本にはそれに相応しい地位と能力が備わっており、我々の平等な仲間であるが、率先して役割を果たすそんなパートナーとなって欲しいと要請しているのである。(中略)私は政府の人間でもなく、一人の学者に過ぎない。しかし、今お話ししたことは、私個人の意見ではなく、東アジア諸国の多くの人が共有する考えである。
 日本はアメリカを取るかアジアを取るかといった選択に直面しているわけではない。当然ながら日本はその両方を取らねばならない。
 しかしながら、もし日本がアジアに対し背を向けてしまうのなら、それはアジアにとって大きな損失となるであろう。そしてそれは日本にとっても大きな損失となるであろう〉