マハティール首相のアジア的価値観

 1990年代には、欧米とアジアでアジア的価値観をめぐる論争があった。アジア的価値観の擁護者マハティール首相は、どのような見解を持っていたのだろうか。『日本再生・アジア新生』(たちばな出版、1999年4月)から紹介する。

 〈まずアジアの価値観は、コミュニティと家族をベースとしている。個人の絶対的自由を享受する権利よりも、家族やコミュニティのニーズや利益を優先する。個人としての権利を主張する前に、家族やコミュニティに対する責任を果たそうとする。一方西欧の価値観は、明らかに個人の権利を強調する。アジアではコミュニティの権利を優先するので、もし個人が社会の権利を踏みにじるようなことがあれば、その人は、大多数の国民の権利を盗んで、自分の権利を追求している利己的な人とみなされる。
 アジアの価値観はまた、権威を尊重する。権威は社会全体の安定を保証するために、欠かすことができないといった認識がある。権威と安定なくして、文明社会は成り立たない。権威の存在価値を認めずに個人の権利を主張し、称えるならば、どんな社会も(たとえ西欧社会でも)、やがては無政府状態に陥っていくであろう。
 しかし、だからと言って、どんな形の権威も受け入れなければならないことを意味しない。また、私は独裁政治を支持しているのでもない。
(中略) Continue reading “マハティール首相のアジア的価値観” »

「アジアは繁栄してはいけないのか」─ノルディン・ソピー博士「EAEC:事実と虚構」

 1995年1月17日、日本マレーシア協会主催で「EAECを考えるシンポジウム」が憲政記念館講堂で開催された。ここで、マハティール首相のブレーンのノルディン・ソピー博士が「EAEC:事実と虚構」と題して基調講演を務めた。以下は、その講演録の一部である。EAECとはマハティール首相が1990年に提唱した東アジア経済協議体構想(当初は東アジア経済グループ構想)である。
 〈我々は日本に対してEAECに加盟するよう要請しているだけである。(中略)我々東アジア諸国が繁栄したいと望むことが、そんなに間違っているのだろうか。日本に対してその為のリーダーとなることを期待するのが、そんなに間違ったことなのであろうか。
 日本はアジアの国である、そして東アジアの国である。この地理的事実を避けて通ることは出来ない。つまり日本はこのアジアに属する国なのである。我々は日本に対して助けて欲しい、援助して欲しいと頼んでいるわけではない。この地域におけるリーダーになって欲しいと要求しているだけなのである。そして我々と共にこの機構に入って中心的な役割を果たして欲しいと要求しているのである。日本にはそれに相応しい地位と能力が備わっており、我々の平等な仲間であるが、率先して役割を果たすそんなパートナーとなって欲しいと要請しているのである。(中略)私は政府の人間でもなく、一人の学者に過ぎない。しかし、今お話ししたことは、私個人の意見ではなく、東アジア諸国の多くの人が共有する考えである。
 日本はアメリカを取るかアジアを取るかといった選択に直面しているわけではない。当然ながら日本はその両方を取らねばならない。
 しかしながら、もし日本がアジアに対し背を向けてしまうのなら、それはアジアにとって大きな損失となるであろう。そしてそれは日本にとっても大きな損失となるであろう〉