日米安保条約の空洞化─田久保忠衛氏の危機感

 安倍首相の靖国参拝以来の日米間の緊張について、多くの親米派が沈黙を守っているように見える。そうした中で、田久保忠衛氏の「アメリカの変節がもたらす衝撃事態に備えよ」(『正論』平成26年4月号)には、日米関係の行方についての切実な危機感が示されている。田久保氏は次の書いているのだ。
 〈ウィーク・ジャパン派の存在、オバマ政権の性格、世論の動向、財政収支悪化がもたらしている軍事費へのシワ寄せなどの要素がからみ、米指導力の低下を生んでいる。米国力の衰退ではないが、小規模あるいは中規模の孤立主義傾向はすでに始まっているのかもしれない。米中間に事実上始まっている「新型大国間関係」は「G2」でいこうと合意なのか、あるいは「協商関係」なのか。いずれにしても国際秩序は新しい展開を見せ、首相の靖国参拝だけでなく、憲法改正にも米国が介入して来る事態にならないともかぎらないと私は懸念している。取り越し苦労かも知れないが、日米安保条約の空洞化が徐々に始まらなければいいのだが、私は深刻に受け止めている〉

南宋の愛国詩人・陸游とその時代

 『月刊日本』の連載「明日のサムライたちへ⑧ 我々自身が異民族支配に抵抗するために」(平成25年3月号)で書いた通り、浅見絅斎の『靖献遺言』謝枋得の章後半には、南宋滅亡に至る、南宋と金との交渉過程が描かれている。
 ツングース系の女真族を統一した阿骨打が、中国北部に金を建国したのは一一一五年のことだった。そして一一二六年、宋は「靖康の変」で金に敗れて華北を失い、都を臨安(杭州)に移す。これ以降が南宋の時代である。
 南宋では金との戦争を継続して失地を回復しようと主張する主戦派と、戦争を停止しようと主張する講和派とが対立していた。一一三〇年に金から還った秦檜は講和を唱える。これに対して、一一三五年二月には、主戦派の張浚が宰相に就く。しかし、一一三七年九月に失脚し、国論は講和に傾いていく。一一四二年には、淮河を国境とし、宋から歳貢として銀・絹を金に納めるという屈辱的な購和を結ぶに至る。これ以後、南宋の政権は専ら秦檜一人の手に握られ、一一五五年檜が死んでからも、そのグループによって政治が行われたため、和平の方針は変らなかった。 Continue reading “南宋の愛国詩人・陸游とその時代” »