マスコミが阻止する石原─小沢連携

高橋清隆 亀井静香インタビュー(上) 「自民党も民主党も消える」
(2012年 7月 31日 01:25)
 4月の国民新党離党からマスメディアに無視されている亀井静香衆議院議員。民主・自民・公明3党による談合政治の茶番を突き崩すため、新党づくりを進めている。「最後の戦い」と位置付ける亀井氏に27日、その展望と現状を聞いた。

——当初、「石原新党」の結成を「サクラが咲くころ」と言っていた。この構想は生きているのか。
亀井 歴史は一挙にいかない。紆余曲折はある。絵に描いたように計算通りには。それでも、1つの目標を設定しなければならない。6月13日に石原(慎太郎東京都知事)本人と会って、「やろう」と決めた。具体的な話をきちっと整えて。ただ、彼は政治家じゃないから、文章を書いては消している。それで、おれに怒鳴られている。そうは言っても時期が来た。やる。

——一番ネックになっているのは何か。
亀井 尖閣の問題だ。石原が手を付けた問題だが、国に取り組ませればいい。これを整理しないといけない。そういうこともあるから少し延びている。 続きを読む マスコミが阻止する石原─小沢連携

「日本こそが中国だ」と叫んだ山鹿素行─「明日のサムライたちへ」

『月刊日本』の新連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」の一冊目(山鹿素行『中朝事実』)の第一回冒頭です。

「日本こそが中国だ」と叫んだ山鹿素行⇒[PDF]

連載にあたって
わが国では、国難に直面したときには、必ず原点に戻って国を立て直そうという運動が起こってきました。大化の改新、建武の中興、明治維新など、いずれもそうであり、そこには、常に「怒れるサムライ」の存在がありました。
江戸幕府を倒したものは、万世一系のご皇室を戴き共存共栄の道義国家として永遠に続いていくという、わが国の国体の理想から逸脱する幕府の政治への不満であり、同時に対外的な危機に備えることをせず、危機を深刻化させ、しかもその責任をとろうとしない幕府への強い憤りでした。
現在の危機は、幕末の危機と共通する部分が少なくありません。ところが、領土問題や資源問題など目に見える問題に対する危機感は高まっていますが、欧米のリベラル・デモクラシーの問題点に対する認識は十分ではありません。例えば、国家の根幹である農業を破壊し、様々な分野の制度改革を促し伝統を破壊するTPP(環太平洋経済連携協定)を進めようという勢力が権力を維持しています。消費増税をめぐって、民主党・自民党の増税賛成派と公明党が手を組み、新たな幕府体制を形成しようとしています。それは、日本の国体の理想を忘れ去ってしまっているからではないでしょうか。
日本人全体が、本来の理想的な姿を見失い、利己主義、個人主義、効率万能主義、競争主義、物質至上主義に陥ってしまっているのです。これを深刻な問題として受け止めている人もいますが、全く意識していない人も少なくないのが現実です。 続きを読む 「日本こそが中国だ」と叫んだ山鹿素行─「明日のサムライたちへ」

janjanblogで高橋清隆氏が「明日のサムライたちへ」を紹介

『月刊日本』が若者奮起させる新連載を開始
2012年 7月 24日 00:24 【取材ニュース】 <メディア> <哲学・宗教> <歴史>

高橋清隆
米国を批判できるわが国唯一の保守系言論誌『月刊日本』が、国難を救うべく若者を奮起させる新連載を8月号から始めた。思想研究者で同誌編集長の坪内隆彦氏の「明日のサムライたちへ」と題する論考で、日本人の魂を奮い立たせる古典10冊を紹介していく。

この連載は、政治への不満が歴史的に高まっているとの認識から企画された。わが国では国難に直面したとき、必ず原点に戻って国を立て直そうという運動が起きてきた。大化の改新や建武の中興、明治維新もそうで、そこには常に「怒れるサムライ」の存在があった。

執筆者の坪内氏は、各分野の伝統を破壊するTPP(環太平洋経済連携協定)を推進する勢力が権力を維持し、消費増税をめぐって民主・自民・公明の各党が手を組むのは「日本の国体の理想を忘れてしまっているから」と糾弾する。

取り上げる10冊は、山鹿素行の『中朝事実』や本居宣長の『直毘霊(なおびのみたま)』、頼山陽の『日本外史』、大塩中斎(平八郎)の『洗心洞箚記(せんしんどうさっき)』など。1冊を4回に分けて紹介していく。

連載に当たり、坪内氏は「日本の国体の理想に目覚め、維新に立ち上がる明日のサムライの登場を願って、この連載を始めます。先人たちが残した訳や大意を用いて、できる限り平易に説明しようと思います」と言い添えている。 続きを読む janjanblogで高橋清隆氏が「明日のサムライたちへ」を紹介

阪本是丸先生のご講演と記念展「明治天皇と乃木大将」─「明日のサムライたちへ」取材記録

『月刊日本』の新連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」の一冊目(山鹿素行『中朝事実』)執筆のために、平成24年7月15日(日)、明治神宮参集殿において開催された記念講演会に参加しました。「明治天皇と乃木大将」の演題で、国学院大学教授の阪本是丸氏がご講演され、明治天皇と乃木の敬神崇祖の念の篤さを強調しました。その際に配布された資料にある通り、乃木家の祖先を祀る沙沙貴神社(滋賀県近江八幡市)に乃木はしばしば参拝していましたが、殉死に臨んで、集作に三幅の軸を沙沙貴神社に寄進するよう託しました。三幅の軸の一つこそ、乃木が謹書した『中朝事実』の一節だったのです。
明治神宮文化館宝物展示室では、乃木神社との共催により、明治天皇百年祭・乃木神社御祭神百年祭記念展「明治天皇と乃木大将」が開かれており、「君臣一如」のうるわしい事績が紹介されています。乃木の弟・大館集作所蔵の『中朝事実』(乃木神社所蔵)、素行が『中朝事実』の一節を、東宮殿下(大正天皇)の台命を奉じて敬書、奉呈したものの下書き(学習院アーカイブズ所蔵)が目を引きました。

弁天町の宗参寺に墓参─「明日のサムライたちへ」取材記録

『月刊日本』の新連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」の一冊目(山鹿素行『中朝事実』)執筆のために、平成24年7月14日午後、新宿区弁天町の宗参寺に、素行先生のお墓にお参りしてきました。法名は「月海院殿瑚光浄珊居士」。

明治40年12月29日、ここで乃木大将が祭文を奏上しています。

左側には、立派な梅の木があります。これは乃木大将遺愛の「春日野」で、乃木の殉死後、遺族によってここに移植されたものです。

学習院に保存される「乃木館」─「明日のサムライたちへ」取材記録

『月刊日本』の新連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」の一冊目(山鹿素行『中朝事実』)執筆のために、乃木希典大将ゆかりの地を訪れました。
明治40年1月、学習院長に任ぜられた乃木は、全寮制を布いて、生徒の生活の細部にわたって指導す
る方針を打ち出し、翌年9月に寄宿舎が完成しました。乃木は自宅へは月に一、二度帰宅するだけで、それ以外の日は寮に入って生徒たちと寝食を共にし、その薫陶に当たりました。乃木の居室であった総寮部は「乃木館」として保存され、昭和19年頃、現在の目白キャンパス内に移築されました。
『月刊日本』編集部の杉原悠人君(学習院卒)の案内で、学習院大学を訪れ、乃木館に向かいました。筆者が乃木館の前に立つと、『中朝事実』を手にし、全身全霊で生徒を指導する乃木院長の姿が目に浮かびました。

 服部純雄の『乃木將軍: 育英の父』には、日曜日、寮の談話室に有志を集めて乃木が『中朝事実』を講義した様子が描かれています。
 「要は、わが日本国体本然の真価値、真骨髄をじゃな、よくよく体認具顕し、その国民的大信念の上に、日本精神飛躍の機運を醸成し、かくして新日本の将来を指導激励するということが、この本の大眼目をなしておるのじゃ」

『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2012年7月)─評者・山下英次氏/『新国策』

書評
真の「独立」について再考を促す書

坪内隆彦著『維新と興亜に駆けた日本人─今こそ知っておきたい二十人の志士たち』(展転社、二〇〇〇円)

評者 山下英次■大阪市立大学名誉教授

 本書は、藩閥政治によって、損ねられていた明治維新の建国の理想を取り戻そうとして活動したわが国の主要な思想家二十人を紹介することを通じて、独立心を持った本物の日本人像を浮かび上がらせようとしたものである。具体的には、西郷隆盛、副島種臣、杉浦重剛、頭山満、植木技盛、陸羯南、荒尾精、岡倉天心、近衛篤麿、杉山茂丸、宮崎滔天、内田良平、等々の志士たちが取り上げられている。

 著者が、これらの志士たちが共通して持っている思想上の信念としてみているのは、以下の三点と思われる。第一は、明治維新後の行き過ぎた西洋かぶれ路線を修正し、外交の主体性を取り戻す。第二に、そのためには、日本は興亜に尽くすべきである。第三に、国学、陽明学、崎門学、水戸学など江戸期以来の国体思想を継承する。

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南部靖之氏と前原誠司氏

小泉・竹中によって進められた新自由主義路線によって労働者派遣法が改悪された。
小泉政権下の2002年4月、人材派遣大手パソナ・グループは、防衛庁職員26万人の福利厚生業務を防衛庁共済会より一括受託している。
民主党政権は、労働者派遣法を正常に戻すことを目指していたが、結局骨抜きにされた。
この背景に何があったか。その一つとして指摘されているのが、パソナの南部靖之氏と前原誠司氏のただならぬ関係である。
関係者によると、前原氏の妻、愛里夫人は、かつてパソナに勤務し、しかも南部氏の秘書を務めていた。愛里夫人は、創価短大出身で、創価学会とのパイプがパソナ、前原氏の双方に生まれた格好になっていた。