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日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』⑤

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(④より続く)

〈附 記
一、我政府当局ガ、前記、解決法ヲ善トシ、良トスルナラバ、速ニ、我国ヲ道義国家ニ更正セシムベキ具体案ヲ確立シ以テ勅裁ヲ仰ギ、其ノ要領ヲ、中外ニ声明シ、更ニ、日支両国人ノ敬慕スル高徳ノ偉人ヲ撰ミテ、渡支セシメ、我国ノ真意ヲ明示スベキデアル、若シ、如斯ンバ、蔣介石ハ、勿論、支那四億ノ民ハ、挙テ、仰天、俯地、感謝感激シテ、特使ヲ迎ヘルデアラウ。
一、我国思想ノ左右スルハ、我国ノ、政治及教育ガ、國體ニ悖リ、国民性ニ反スルカラノ、反射的所産デアル、現在ノ政治及教育ヲ、此儘ニシテ、徒ニ、法律ヲ以テ之ヲ抑圧セントスルガ如キハ、源泉ヲ濁シテ、末流ヲ清メントスルモノニシテ、其ノ愚モ亦甚シキモノデアル。若シ、我政府当局が反省自覚シテ、日本本来ノ自性タル、道義国家ノ顕現ニ努カスルナラバ、国内ニ於ケル左右思想ノ如キハ直チニ雲消霧散スルハ勿論、ソ聯ノ如キモ遂ニ我ガ皇風ニ醇化サルルデアラウ、況ヤ他ノ万邦ニ於オヤデアル。

昭和十三年六月三日(稿)〉

日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』④

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(③より続く)
〈一、官公吏ハ、日支共ニ、総テ、慈悲行(親切)ヲ以テ生命トセシムベキデアル。
人類ノ平和幸福ハ、唯一途、慈悲行ノ交換ニヨリテノミ之ヲ顕現スルヲ得ルモノデアル。故ニ、官公吏ノ生命トスベキハ慈悲行(親切)ノ実践デナクテハナラヌ、法律規則ハ、慈悲行ヲ顕現スル為ノ手段デアリ、方便デアル、若シ官公吏ガ、慈悲行ヲ忘レテ、法律規則至上主義ニ陥レバ、官公吏ハ、冷酷トナリ、不誠意トナリ、無責任トナリ、国民ハ、法ヲ免レテ恥ズルナキ、破廉恥漢トナルモノデアル、殷鑑遠カラズ、我日本ノ現状ハ、明確ニ之ヲ示現シツヽアルノデアル。
一、教育ハ、日支共ニ、総テ道徳ノ実践躬行ヲ以テ、生命トセシムベキデアル。
教育ノ目的ハ、人類ヲシテ、慈悲ノ行者トシテ、利用厚生ニ貢献セシメンガ為デアル、故ニ、如何ナル学府ト雖モ、道徳ヲ実践躬行セシメザル教育ハ、有害無用デアル、殊ニ、形而上学ニ於テ甚シトナスモノデアル、秦ノ始皇ガ、書ヲ焚キ、儒者ヲ穴ニセシハ、之ノ弊ヲ匡正セントセシモノデアル、目下日本、支那共ニ有害無用ノ教育ニ堕落シテ居ルノデアル。
前述ノ方策ハ、畏クモ、天照大御神ヲ初メ奉リ、天地神明ノ神慮ニシテ、八幡大神、敵国降伏(言向ヶ和ス)ノ神慮タルヲ疑ハヌノデアル、切ニ、我国、大官顕職ノ猛省ヲ望ムノデアル。〉(続く)

日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』③

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(②より続く)
〈一、支那ヲシテ、道義国家タラシムルニハ、支那ノ国政ノ基礎ヲ家族制度ニ置カシメ、親心政治タル、堯舜政治ヲ、顕現セシムベキデアル。
 一家ハ、親(家長)ヲ以テ、絶対的、綜合、調和、統一者トシ、一家ノ家長ハ、一村ノ親(村長)ヲ選挙シ、一村ノ親(村長)ハ一郡ノ親(郡長)ヲ選挙シ、一郡ノ親ハ、一県ノ親(県長)ヲ選挙シ、一県ノ親ハ。一国ノ親(大統領即ち堯舜)ヲ選挙スルノデアル。(コヽニ選挙トハ必ズシモ投票選挙ヲ意味スル者ニ非ズ)
親ハ、慈悲ノ本元デアル、国政ノ基礎ヲ親トスルハ、大慈悲国家ヲ顕現スル所以デアツテ、道義国家ヲ建設スル所以デアル。コレ、我國體ト合致シ、宇宙万有一貫ノ原理ト合致セシムル所以ニシテ、東洋平和ヨリ、世界平和ヲ顕現セシムル、唯一方途デアル、之ヲ、堯舜国家ト云フノデアル。
近来流行ノ、一国一党主義ハ、自ラ強要シテ、親タルヲ僣称スルモノニシテ、覇者ノ道デアリ、ナチスデアリ、フアツシヨデアリ、蔣政権デアル、断ジテ支那ニ許スベキデナイ。
欧米ノ如ク、個人ヲ基礎トセル、大統領選挙ハ、功利的、相剋的、非道義的ニシテ、闘争分裂ニ陥ル、我国現行ノ衆議院議員選挙法モ亦然リデアル、故ニ、其ニ支那ニ採ルベキ道デナイ、況ンヤ、日本ニ於テオヤデアル〉(続く)

日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』②

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(①より続く)
〈一、我国ノ教育勅語ハ、宇宙万有一貫ノ、根本原理ノ発露ニシテ、人類最高ノ道徳規範デアル、故ニ、古今ニ通シテ謬ラズ、中外ニ施シテ悖ラザルモノデアル。而シテ、教育勅語ヲー貫スルモノハ、慈悲デアリ、親愛デアリ、親切デアル、然ラバ則チ、慈悲、親愛、親切ハ、宇宙万有一貫ノ精神ニシテ、人類天賦ノ性命デアル、孔子、釈迦.基督ヲ始メ、古今東西ノ聖賢、哲人ハ、何レモ皆、慈悲、親愛、親切ノ国家ヲ顕現スベク、努力奮闘シタモノデアル、然ルニ遂ニ、其ノ理想タル、天国、浄土ヲ、此ノ国土ニ顕現シ得ナカツタノデアル、コハ.宇宙一貫ノ根本原理ノ顕現神タル、天皇ノ大稜威ニヨルノ外、顕シ得ベキモノデハナイカラデアル、換言スレバ、教育勅語ノ、実現実行セラルヽ国ニアラズンバ、世界ヲ指導シテ、世界平和ヲ実現スルコトガ出来ナイノデアル、支那ヲ直義国家(堯舜国家)タラシムルモ、我日本天皇ノ大稜威ニヨラズンバ実現シ得ベキモノデハナイ、現ニ、堯舜政治ハ、支那民族ガ、幾千年間、自国ノ性命トシテ、熱望スル処ノモノナルモ、今ニ、実現シ得ナイノデアル、今回ノ.日支事変ハ、我日本ヲシテ、天賦本来ノ自性ニ立チ還ラシメ、以テ、天皇国家ヲ顕現セシメ、支那ヲシテ、堯舜国家ヲ建設セシメテ漸次、世界平和ヲ実現セシメントノ神慮デアル事ヲ、覚悟セネバナラヌ。
一、日本ヲシテ、道義国家タラシムルニハ、左ノ条項ヲ実行スルニヨリ、神国日本、即チ、天皇国家ヲ顕現シ得ベキモノデアル。
一、政府、官吏(縦ノ国家機関)及議会、議員(横ノ国家機関)ヲ始メ、教育家、宗教家等、苟モ、国家ヲ経綸シ、国民ヲ指導啓発スル者ノ任免、詮衡ハ、先ヅ、道義(教育勅語)ノ実践躬行者タルヲ、必須要件トスベキコト。
二、議員選挙権資格ハ、現在ノ功利的、対立的、相剋的、個人主義的普通選挙法ヲ廃止シテ、綜合的、調和的、統一的、家長選挙法ニ、改ムベキコト。
三、教育ハ、小学ヨリ、大学ニ至ル迄、如何ナル学府タルヲ問ハズ、教育勅語ノ実践躬行ヲ励行セシムベキコト。〉
(続く)

日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』①

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
日支事変の原因として、日支両国が功利的、打算的になったことを明確に指摘している。

〈日支事変ノ解決ハ、先ヅ、日本ガ自己ノ性命ト、使命トヲ、反省、自覚シテ、道義国家(天皇国家)ヲ顕現シテ、以テ、支那ヲシテ、道義国家(堯舜国家)ヲ建設セシムベク、強要スルコトデアル、コハ、事変解決ノ絶対唯一ノ道ニシテ、将来日支両国ハ勿論、世界万邦ヲシテ、無現ノ幸福ヲ享有セシムルノ途デアル、決シテ、他ニ方策アルベキデナイ、以下其ノ理由ト、其ノ方策トヲ述ブル。
一、功利的、打算的、政治ハ対立、相剋ヲ起シ、互恵的、親愛的政治ハ平和幸福ヲ、招来スルモノデアル。
一、日支事変ハ、日支両国ノ政治ガ相互ニ、功利的、打算的トナツタ結果ニシテ、其責ハ、日支両国政治家ノ負担スベキモノデアル。
一、日支事変終局ノ目的ハ、東洋平和デアリ、日支親善デアラネバナラヌ、然ラバ則チ、日支両国ハ、相互ニ過去ノ功利的、打算的、政治ヲ清算シテ、互恵親善ノ、内治外交ニ終始スルノ外、他ニ途ナキモノデアル。
一、我国ガ、地球上ニ、国ヲ肇メタノハ、互恵親善ノ国家、即チ。道義国家(天皇国家)ヲ顕現シ之ヲ延長シテ、世界平和ヲ実現センガ為メデアル。コハ、我国ノ性命デアリ、使命デアリ、皇祖肇国ノ神命デアル。
一、我国ハ、明治以来七十年間、欧米文化ノ所産タル、功利的、打算的学理、学問ニ陶酔シ、我国独特ノ性命タリ、使命タルベキ、道義国家ノ経綸ヲ忘却シテ、欧米直訳ノ、功利、打算、対立、相剋ノ権利義務ノ観念ヲ以テ、諸法律、諸制度ヲ制定シ、国家ヲ経綸シ、且ツ、国民ヲ教育シタノデアル、故ニ、我国ノ百政ハ、勿論、国民ノ思想道徳ハ、悉ク、我國體ト乖離シ 我国固有ノ国民道徳ト背馳シテ、内治外交トモニ、対立、相剋ヲ起シ、遂ニ、平和ヲ破リ、幸福ヲ失フニ至リシモノデアル。〉
(続く)

『興亜運動と頭山満翁』

 『興亜運動と頭山満翁』は、興亜陣営の活動家、鈴木善一が、昭和17年に頭山の米寿を祝し、頭山から受けた教訓感銘を綴ったものである。鈴木は、明治36年に茨城県で生まれた。国士舘時代に親交を持ったのが、八幡博堂で、彼とは昭和4年5月に信州国民党を設立している。 Continue reading “『興亜運動と頭山満翁』” »

村岡清蔵

青島地湧塾で日中提携を目指す

村岡清蔵は、明治42年に佐賀県で生まれた。大正13年、大連の旧制高等小学校を卒業し、翌14年に大連の日本山妙法寺において、得度仏門に入る。
彼が、前田虎雄と出会うのは、大正15年11月、栃木県那須の日本山妙法寺においてであった。以来、前田と行動をともにし、昭和8年の神兵隊事件に参加、投獄される。昭和10年秋に出獄した後、葦津耕次郎の教えを受けて、神道、国学思想に開眼、嗣子珍彦とも親交を持つようになる。
昭和15年1月、立正興亜塾を東京に開設、青年同志の養成に努めた。この年7月の七・五事件に参加し、再び投獄されている。翌昭和16年に出獄、昭和17年に中国に渡った。昭和18年青島地湧塾の塾長となり、熟生とともに日中間の真の提携を目指した。昭和19年には地湧塾の生徒たちとともに、済南に移転し、山東立志工業学校を創設し、中国人のみ500余名の育成に当たった。
昭和20年8月15日、終戦の大詔を拝聴して自決を決意し、久子夫人とともに自宅において自決した。