「岡倉天心」カテゴリーアーカイブ

岡倉天心と屈原

 
明治31(1898)年3月26日、岡倉天心は東京美術学校を追われた。その背景には、スキャンダルがあったのだが、欧米型近代化に背を向ける天心流の国粋主義が、国家政策の邪魔になったと見ることもできる。
 天心の受けた打撃は大きかった。しかし、ようやく天心は民間の自由人としてみずからの理想を追求できるようになった。ただちに彼は、私立美術学校として日本美術院の設立に動く。 ――自分たちは、あくまでも先生についていきます。
 天心失脚に憤慨した橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草ら教官17名は4月に辞職、天心とともに歩んでいくことを決意していた。
 10月15日、「新時代における東洋美術の維持、開発」を高らかに掲げ、日本美術院はスタートをきった。開院式に合わせて記念展覧会が開催された。人々は、会場に飾られた大作に注目した。 Continue reading “岡倉天心と屈原” »

岡倉天心の言葉

「アジアは一つである。ヒマラヤ山脈は、二つの強大な文明、すなわち、孔子の共同社会主義をもつ中国文明と、ヴェーダの個人主義をもつインド文明とを、ただ強調するためにのみ分っている。しかし、この雪をいただく障壁さえも、究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがりを、一瞬たりとも断ち切ることはできないのである。そして、この愛こそは、すべてのアジア民族に共通の思想的遣伝であり、かれらをして世界のすべての大宗教を生み出すことを得させ、また、特殊に留意し、人生の目的ではなくして手段をさがし出すことを好む地中海やバルト海沿岸の諸民族からかれらを区別するところのものである」(富原芳彰訳/『東洋の理想』) Continue reading “岡倉天心の言葉” »

岡倉天心の日本精神(2) 『日本の目覚め』

 

東洋の宗教的価値を称揚した岡倉天心は、慈悲・寛容の精神とともに調和の精神を重視した。そんな天心は、神道・日本精神についてどう語っていたのか。『日本の目覚め』の中の神道・日本精神を紹介しておきたい。(翻訳は斉藤美洲訳/『明治文学全集38 岡倉天心集』筑摩書房による)。

「歴史的知識の獲得の結果は、神道の復活となって現われた。この古代宗教はうちつづく大陸からの影響をこうむって、本来の性格をほとんど失っていた。九世紀のころは、密教の一分派となって、もっぱら神秘的な象徴主義にふけっていたが、十五世紀以後はまったく新儒学にそまって、道教的宇宙観を受けていれていた。ところが古代学の復興とともに、神道はようやくこれら外来の要素から脱却しはじめたのである。十九世紀にいたって装いを新たにした神道は、一種の祖先崇拝教であり、それは八百万の神々の御代から伝わり伝わった国粋の尊崇であった。この新しい神道は、日本民族古来の理想たる単純率直の精神を守ることを教え、万世一系の天皇の親政に服し、いまだかつて外敵の足跡をとどめぬ神国日本に身を捧げることを教える」 98頁
「…尊攘派は、その理想を佐幕派よりははるかにさかのぼった歴史的時点においていた。彼らは封建時代の前に存在していたところの帝政官僚機構の復興を望んでいたのである。彼らは幕府はおろか諸大名までも全廃することを意図していただけに、その綱領は過激であるばかりでなく革命的であった。尊攘派を構成していた者は、まず伝統的に皇室とつながる公卿であり、つぎに浪人、そして神道家であった。この最後のグループは、天照大神の御子孫に対する宗教的な信念によって、その熱意がひときわ強烈であった」 108頁 Continue reading “岡倉天心の日本精神(2) 『日本の目覚め』” »

岡倉天心の日本精神(1) 『東洋の理想』

 
 東洋の宗教的価値を称揚した岡倉天心は、慈悲・寛容の精神とともに調和の精神を重視した。そんな天心は、神道・日本精神についてどう語っていたのか。
天心の著作の中の神道・日本精神を紹介しておきたい。まず、『東洋の理想』からである(翻訳は村岡博訳『東邦の理想』による)。 

「歴史の曙光と共に大和民族は、戦に勇猛に、平和の文芸に温雅に、天孫降臨と印度神話の伝説を吹き込まれてゐて、詩歌を愛好し、婦人に対して非常な敬虔の念を懐いてゐる、こぢんまりした民族として現れてゐる」 32頁
「印度のトーラン[鳥居に似た仏寺の儀式用門]を多分に想起させる鳥居や玉垣のある清浄無垢な祖先崇拝の神聖な社である伊勢の大廟及び出雲の大社はその原型の侭に二十年毎に若さを新たにして、簡素な調和美しく、太古の姿をその侭に保存せられてゐる」 34頁
「我が民族的誇と有機的統一軆といふ盤石は、亜細亜文明の二大極地より打寄する強大な波涛を物ともせず千古揺ぎなきものである。国民精神は未だ嘗て圧倒せられたることなく、模倣が自由な創作力に取つて代つたことも決してなかつたのである。我々の蒙つた影響が如何に強大なものであつても、常に之を受入れて再び適用するに十分有り余る程の精気を備えてゐた」 35頁 Continue reading “岡倉天心の日本精神(1) 『東洋の理想』” »

石井竜也「亜細亜の空」に込められた「亜細亜は一也」

 本日(2013年9月2日)は岡倉天心の没後100年の命日。映画「天心」完成披露試写会が東京藝術大学の奏楽堂で開催された。
15年ほど前に『岡倉天心の思想探訪』を出版したためか、御招待を受け、『月刊日本』の南丘喜八郎主幹、映画批評を連載していただいている奥山篤信先生とともに参加した。
天心を演じた竹中直人さん、主題歌を担当した石井竜也さん、監督の松村克弥さんらが舞台挨拶した。
映画の評価は専門家に任せるとして、主題歌について一言。実は、石井竜也さんの曾祖父は天心と親交があり、石井さん自身も、幼い頃から天心縁の地である五浦に遊びに行っていたという。天心とそんな深い縁のある石井さんが作ったのが、主題「亜細亜の空」。天心の「アジアは一つ」という言葉を広げられないかと思い、天心の思いを歌にした。石井さんは「アジアという大きな括りの中で、日本画壇を必死に守り抜いた岡倉天心という巨人がいた、ということを、映画をきっかけに、広く知ってほしいなと思います」とも語っていた。
「亜細亜の空」には「亜細亜は一つ」というフレーズも出てくる。「亜細亜の空」はアルバム「WHITE CANVAS」に収録されている。

新亜細亜文化の建設を夢見た歌人・村田光烈

 秋田県出身の歌人として知られた村田光烈(むらた・みつたか)は、大東亜戦争勃発の翌昭和十七年十二月に『新亜細亜の誕生』を出版、新亜細亜文明を構想した。

彼の思想は、日本国体に哲人政治の理想体現を見て、独自の興亜論を唱えた鹿子木員信の思想から影響を受けていた。また、亜細亜の精神的、宗教的価値を称揚した岡倉天心の思想にも通ずる。以下に掲げる『新亜細亜の誕生』の一章「新亜細亜文化の建設」は、そうした村田の思想を最も良く示している。

〈人類文化の揺籃と世界宗教の淵源とを尋ぬる時、そは我が亜細亜を措いて外にない。かの世界最古の文化と呼ばるゝメソポタミヤ乃至古代印度の文化等、欧羅巴文明に先立つこと数千年の往昔に於て、亜細亜には既に卓越せる文化が存在して居り、又世界の三大宗教たる仏教、キリスト教、回教の発祥地も亦実に亜細亜に属する。而して暴戻なる近代資本主義的欧羅巴の征服するところとなつた亜細亜は、今に於てたとへ昔日の栄光を見出すべくもないとは云へ、而も亜細亜独自の高貴な姿に於て、今猶其光芒の搖曳するものあるを看取すること出来るので、我が亜細亜こそ凡そ精神的なる意味に於ての一切の高貴と偉大の源泉であり、釈迦、キリスト、マホメット等の宗教的天才は実に亜細亜の上代に於て此世に出現し、又印度、波斯等の多種多様なる民譚も東洋精神の衷なる魂の力を物語つて居るもので、民話に於ても亦亜細亜は世界の母である。 Continue reading “新亜細亜文化の建設を夢見た歌人・村田光烈” »

アジャンター壁画と法隆寺金堂壁画

岡倉天心の評伝執筆のため、平成9年にインドのマハラーシュートラ州北部にあるアジャンター石窟群を訪れました。天心は、明治35年2月半ばにここを訪れていました。

石段を5分ほど登る。天心の眼前に、馬蹄形にカーブするワーグラー川にそって500メートルにわたる巨大な石窟寺院群が迫ってきた。

紀元前2世紀ごろから、仏教僧たちは雨期の雨を避けて修行を続けられるようにするため、石窟僧院を掘ったのである。やがて5世紀中頃、大乗仏教の時代から壁画が描かれるようになった。
200メートルほど歩くと、第一窟に着く。天心が中に入ると、理知的で気品に満ちた表情の菩薩像が浮かびあがる。大きな波形の連眉、切れ長の目、引き締まった口。ややうつむきかげんで、右手に青い蓮華をもつ蓮華手菩薩像。この色彩豊かな壁画を見たとき、天心は即座に法隆寺金堂壁画との類似を見出している。

岡倉天心の日本精神② 『日本の目覚め』

 東洋の宗教的価値を称揚した岡倉天心は、慈悲・寛容の精神とともに調和の精神を重視した。そんな天心は、神道・日本精神についてどう語っていたのか。『日本の目覚め』の中の神道・日本精神を紹介しておきたい。(翻訳は齋藤美洲訳/『明治文学全集38 岡倉天心集』筑摩書房による)。

「歴史的知識の獲得の結果は、神道の復活となって現われた。この古代宗教はうちつづく大陸からの影響をこうむって、本來の性格をほとんど失っていた。九世紀のころは、密教の一分派となって、もっぱら神祕的な象徴主義にふけっていたが、十五世紀以後はまったく新儒學にそまって、道教的宇宙觀を受けていれていた。ところが古代學の復興とともに、神道はようやくこれら外來の要素から脱卻しはじめたのである。十九世紀にいたって裝いを新たにした神道は、一種の祖先崇拜教であり、それは八百萬の神々の御代から傳わり傳わった國粹の尊崇であった。この新しい神道は、日本民族古來の理想たる單純率直の精神を守ることを教え、萬世一系の天皇の親政に服し、いまだかつて外敵の足跡をとどめぬ神國日本に身を捧げることを教える」 98頁 Continue reading “岡倉天心の日本精神② 『日本の目覚め』” »

岡倉天心の日本精神① 『東洋の理想』

 東洋の宗教的価値を称揚した岡倉天心は、慈悲・寛容の精神とともに調和の精神を重視した。そんな天心は、神道・日本精神についてどう語っていたのか。
天心の著作の中の神道・日本精神を紹介しておきたい。まず、『東洋の理想』からである(翻訳は村岡博訳『東邦の理想』による)。

「歴史の曙光と共に大和民族は、戰に勇猛に、平和の文藝に温雅に、天孫降臨と印度神話の傳説を吹き込まれてゐて、詩歌を愛好し、婦人に對して非常な敬虔の念を懷いてゐる、こぢんまりした民族として現れてゐる」 32頁
「印度のトーラン[鳥居に似た佛寺の儀式用門]を多分に想起させる鳥居や玉垣のある清淨無垢な祖先崇拜の神聖な社である伊勢の大廟及び出雲の大社はその原型の儘に二十年毎に若さを新たにして、簡素な調和美しく、太古の姿をその儘に保存せられてゐる」 34頁
「我が民族的誇と有機的統一體といふ盤石は、亞細亞文明の二大極地より打寄する強大な波涛を物ともせず千古搖ぎなきものである。國民精神は未だ甞て壓倒せられたることなく、模倣が自由な創作力に取つて代つたことも決してなかつたのである。我々の蒙つた影響が如何に強大なものであつても、常に之を受入れて再び適用するに十分有り餘る程の精氣を備えてゐた」 35頁 Continue reading “岡倉天心の日本精神① 『東洋の理想』” »

藤原岩市と東洋の理想

 藤原岩市は、『留魂録』(振学出版、1986年)で、次のように書いている。
「日露戦争の直前、明治の大先覚者岡倉天心は東洋の真実を究めんとしてインドに渡っている。マドラスでヴィベカナンダという聖者に遇い、彼に導かれて、ノーベル賞の詩聖タゴール(アジアで最初の受賞者)と相識り、詩聖の宅に寄偶、東洋文明の真髄を語り合い、肝胆相照らしている。津波のように次々と押し寄せる回教徒やキリスト教徒の侵略破壊と物質本位、商業主義の搾取と圧制によって、数千年前に発祥し、燦然とインドと中国に開き輝いた東洋文明とそれが産んだ真善美の宗教と道義の文化と芸術は、徹底的に破壊され、瓦礫の遺跡と化し果てたことを嘆いている。天心はインドの青年に檄して、東洋精神に目覚め、隷属を脱却して東洋文化を振興せんことを激励している。
天心とタゴールはインドと中国に発祥した文化が幸いに日本に伝わり、日本伝承の文化に融合し、開花して信託されており、これをインドを初めアジアの国々に還元止揚して東洋精神を恢興しようと誓い合っている。その直後に日露戦争の大勝を見てインドを初めアジア隷属民衆は狂喜したのである。天心は弟子の横山大観、菱田春草をもインドに派遣し、彼の志を探究させている。

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