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火葬に反対した奥八兵衛の抵抗運動

 天皇、皇后両陛下の「ご喪儀」の在り方を検討していた宮内庁は平成25年11月14日、葬法を火葬とすると発表したが、かつて奥八兵衛という人物が、火葬反対の運動を展開していた。物集高見著『日本の人』(国学院、明治32年7月)には次のように書かれている。
 「魚売八兵衛は京都の人なり。承応3(1654)年9月、後光明天皇崩御の聞ありて、御葬儀は、持統天皇以来の火葬の御式と聞えしかば、八兵衛、伝へ聞き手、大きに驚き、天皇は、御在世の間、常に旧典の廃れたるを嘆かせ給ひて、其復興をこそ思召したりしを、如何なれば、聖旨にもあらぬ火葬の御式を用ふるぞ、仮令、身は、魚売の賎民なるにもせよ、傍観して在るべきにあらずと、心を決して仙洞の庭に拝伏し、百司の門に跪き、日夜泣き叫びて哀願して止まざりしほどに、大方ならが、人心を感動して、遂に、朝議を一変して、埋葬の御式に依らしめたりといふ」
 明治40(1907)年5月、八兵衛に正五位が贈られている。