「副島種臣」カテゴリーアーカイブ

『副島伯閑話』を読む①─枝吉神陽と高山彦九郎・蒲生君平

『副島伯閑話』には、副島の兄枝吉神陽の尊皇思想が明確に示されている。特に注目されるのは、高山彦九郎・蒲生君平の影響である。副島は神陽について以下のように語っている。
「是は唯性質純粋の勤王家であつた」
「是は勤王家であるから、奸雄のことは一口も褒むることは嫌ひである」
「矢張兄も高山蒲生等が好きで、其伝を自ら写して居られた、其中蒲生の著述には殊の外服して居られた、職官志、山陵志、それから不恤緯と言ふやうな蒲生君の著述がある、それから、蒲生の詩集も写して居られた」
ここで、編者の片淵琢は「左に高山蒲生両士の伝を掲げて、世上同好の人士に示す」と述べ、28ページに及ぶ伝記を載せている。これは、枝吉神陽・副島種臣に対する高山彦九郎・蒲生君平の影響の大きさを物語っている。
さらに、副島は神陽について以下のように語っている。
「昌平校で日本書を読むやうなことを始めたのは兄である。是れは間違は無いとこで、佐賀の国学教諭と云ふ者になつて居られた時、皇学寮と云ふものを起されて矢張日本の書を研究する寮を一つ設けられた、それから、楠公の社を起されて、此楠公の社と云へば、二百年前に佐賀の光茂公と云ふ人も加入して居られる、深江信溪其等と一緒に楠公父子の木像を拵へて祭られたことがある、其古い木像が後は梅林庵と云ふ寺にあつた、それを捜がし出しで、兄が始めて祭られた、それで、学校の書生等も、往々それに加はり、或は佐賀の家老あたりも、数名それに出席するやうになった、是が勤王の誠忠を鼓動されたことになつた」

『副島種臣先生小伝』を読む②─兄枝吉神陽


副島種臣の思想形成に大きな役割を果たしたのが、兄枝吉神陽である。藤田東湖と並び「東西の二傑」と呼ばれ、また佐賀の「吉田松陰」とも呼ばれた神陽は、嘉永3(1850)年に大楠公を崇敬する「義祭同盟」を結成している。『副島種臣先生小伝』は、神陽について以下のように書いている。
〈先生の令兄神陽先生は、容貌魁偉、声は鐘の如く、胆は甕の如く、健脚で一日によく二十里を歩き、博覧強記、お父さんの学風を受けて皇朝主義を唱へ、天保十一年閑叟公(鍋島直正)の弘道館拡張当時は、年僅かに十九であつたが、既に立派な大学者で、国史国学研究に新空気を注入して、先生はじめ大木・大隈・江藤・島などの諸豪傑を教育し、天保十三年二十一で江戸に遊学するや、昌平黌の書生寮を改革し勤王思想を鼓吹して、書生問に畏敬され、後、諸国を漫遊して帰藩し、自から建議し、弘道館の和学寮を皇学寮と改めて、其の教諭となつたのは、其の二十七歳の時であつた。後文久二年は四十一歳で歿したが、臨終には蒲団の上に端坐し、悠然東方を拝して、『草莽の臣大蔵経種こゝに死す。』と言つて静かに暝目した〉

『副島種臣先生小伝』を読む①─国体と自由民権

国体を基軸に置く自由民権派の事例としては、例えば福井で「自郷社」を旗揚げした杉田定一の例が挙げられる。杉田は三国町・滝谷寺の住職道雅上人に尊皇攘夷の思想を学び、崎門学派の吉田東篁から忠君愛国の大義を学んだ。興亜陣営の中核を担った玄洋社の前身「向陽社」もまた、自由民権運動として出発している。
副島種臣の民選議院建白にも、国体派の民権思想として注目する必要がある。副島種臣先生顕彰会『副島種臣先生小伝』昭和11年は以下のように述べている。
〈明治七年一月十八日、先生は板垣後藤等と共に民選議院の建白書を提出した。これはもと英国から帰朝した古澤滋が英文で書いたのを日本文に訳したもので、君主専制を難ずるのが眼目であつた。先生は之を見て『抑も我輩が勤王運動をやつたのは何の為か。君主専制に何の不可があるか。』と言つた。板坦等が『それではそこを書き直すから同意して呉れ。』といふので、先生は「宜しい。有司専制と改めれば同意する。有司専制の弊を改める為に議院を作るに異議は無い。」といつて連署に加はつた。そして他にも大分文章に手を入れた。署名は先生を筆頭に、後藤・板垣・江藤其他四名になつて居る。
右の建白が採用されて、明治十四年十月、国会開設の大詔が渙発されたのに対し明治十六年七月、先生は三条太政大臣宛に口上執奏方を請うた。その覚書の中に「神武復古との御名言に背かせられず、尚御誓文中皇威を海外まで輝すこと御実践の儀懇望に堪へず」などいふ文句がある。即ち先生の思想は純然たる日本精神的立憲主義である〉

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二

二、神からの贈り物と奉還思想
「君臣相親みて上下相愛」する国民共同体を裏付けるものは、わが国特有の所有の観念である。皇道経済論は、万物は全て天御中主神から発したとする宇宙観に根ざしている。皇道思想家として名高い今泉定助は、「斯く宇宙万有は、同一の中心根本より出でたる分派末梢であつて、中心根本と分派末梢とは、不断の発顕、還元により一体に帰するものである。之を字宙万有同根一体の原理と云ふのである」と説いている。
「草も木もみな大君のおんものであり、上御一人からお預かりしたもの」(岡本広作)、「天皇から与えられた生命と財産、真正の意味においての御預かり物とするのが正しい所有」(田辺宗英)、「本当の所有者は 天皇にてあらせられ、万民は只之れを其の本質に従つて、夫々の使命を完ふせしむべき要重なる責任を負ふて、処分を委託せられてゐるに過ぎないのである」(田村謙治郎)──というように、皇道経済論者たちは万物を神からの預かりものと考えていたのである。
念のためつけ加えれば、「領はく(うしはく)」ではなく、「知らす(しらす)」を統治の理想とするわが国では、天皇の「所有」と表現されても、領土と人民を君主の所有物と考える「家産国家(Patrimonialstaat)」の「所有」とは本質的に異なる。 続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二

近代デジタルライブラリーで閲覧可能な興亜論関連文献

森本藤吉『大東合邦論』森本藤吉、明治26年

荒尾精『対清意見』博文館、明治27年

副島種臣著、片淵琢編『副島伯閑話』広文堂、明治35年

宮崎滔天『三十三年の夢』国光書房、明治35年

北輝次郎『国体論及び純正社会主義』北輝次郎、明治39年 続きを読む 近代デジタルライブラリーで閲覧可能な興亜論関連文献