「朱子学」カテゴリーアーカイブ

『崎門学報』第4号刊行

 待望の『崎門学報』第4号が平成27年7月31日に刊行された。
 堅い内容ながら、日本を救う鍵がここにあると筆者は信じている。
 10カ月前の平成25年10月1日に創刊された同誌は、崎門学研究会(代表:折本龍則氏)が刊行する会報である。創刊号では、発行の趣旨について、折本氏が「いまなぜ崎門学なのか」と題して書いている。
 まず、山崎闇斎を祖とする崎門学の特徴を、「飽くまで皇室中心主義の立場から朱子学的な大義名分論によって『君臣の分』と『内外の別』を厳格に正す点」にあり、「主として在野において育まれ、だからこそ時の権力への阿諛追従を一切許さぬ厳格な行動倫理を保ちえた」と説いている。
 さらに、肇国の理想、武家政権による権力の壟断の歴史から明治維新に至る流れに触れた上で、戦後日本の醜態を具体的に指摘し次のように述べている。
 「我が国は、今も占領遺制に呪縛せられ、君臣内外の分別を閉却した結果、緩慢なる国家衰退の一途を辿っているのであります。
 そこで小生は、この国家の衰運を挽回する思想的糸口を上述した君臣内外の分別を高唱する崎門学に求め……闇斎の高弟である浅見絅斎の『靖献遺言』を読了し、更にはその感動の昂揚を禁ずること能わず、今日における崎門正統の近藤啓吾先生に師事してその薫陶を得たのでありました。最近では同じく崎門学の重要文献である栗林潜鋒の『保建大記』を有志と輪読しております」
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易学相伝の根本とは─「潔静精微」

 『易』はその本文である経と、その註解・解説である十翼(彖伝・象伝・繋辞伝・文言伝・説卦伝・序卦伝・雑卦伝の総称)とが別になっているのが本来の姿だった。
 ところが、漢の費直が経を十翼によって解する立場から、彖伝・象伝・文言伝を抽いてこれを分ち、経の当該卦の後に移してしまった。
 本来、経と十翼とは、成立の時代が異なる。しかも、経と十翼はそれぞれ『易』に対する態度が異なる。両者を綜合調節するのは本来不可能なのである。
 ところが、費直の易「今易」が主流となっていき、もともとの易である「古易」は滅んでしまったのである。しかも、易を解釈に解釈する人が生きていた時代の思想風潮までもが流入していった。
 これを歎き、『易』を古易の姿に復するとともに、卜筮の書という本来の性格を取り戻そうとしたのが、朱子だった。彼は、「古易」姿に復し、卜筮の書としての視点から新たな註を加えて、『周易本義』を著した。 Continue reading “易学相伝の根本とは─「潔静精微」” »

「忠恕」とは何か

 
「忠恕」とは何か。
「忠」とは自分の気持ちや心を尽くす「まごころ」。
「恕」とは自分の心を他者に推して「思いやる」こと。

孔子の弟子の曾子の言葉に、
 「夫子(孔子)の道は『忠恕』のみ」とある(『論語』里仁篇)。

中国三国時代の魏の学者、王弼は、
 「忠は、情の尽なり。恕は情に反りて以って物を同じうするものなり」と注釈している。
 「忠」は自分の気持ち(情)を尽くすことであり、「恕」は自分の気持ちを振り返り、物(他者)の気持ちを自分の気持ちと同一視することだと説明している。

そして、朱子の『論語集注』には
 「己を尽くすをこれ忠と謂い、己を推すをこれ恕と謂う」とある。

角田柳作─欧米における日本学の教祖

角田柳作─欧米における日本学の教祖(『月刊日本』平成21年5月号掲載)

古代精神に立ち返った独自の文学論

司馬遼太郎が『街道をゆく ニューヨーク散歩』で角田柳作を紹介して以来、忘れ去られていた彼の名は徐々に知られるようになってきたものの、未だ一般的認知度は低いし、その全貌は未だ明らかになってはいない。今回、敢えて角田を取り上げるのは、日本文明の普遍性を我々が認識するだけではなく、それを世界に伝えていくことが再び重要な時代に入っているからである。角田がいなかったら、今日の欧米の日本文化理解、アジア文化理解はどうなっていたかという問題意識を念頭に置きながら、彼の生涯を追ってみたい
角田柳作は、明治十年一月二十八日、群馬県勢多郡津久田村(現在の渋川市赤城町津久田)で生まれた。父庄作は角田が五歳のときに亡くなっている。それ以降、彼は祖父金造と母ぎんに育てられた。幼い頃から優秀だった彼は、周囲からも期待されていた。兄保太郎は、次のように振り返っている。 Continue reading “角田柳作─欧米における日本学の教祖” »