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1991年9月16日─もう一つのフィリピン独立記念日

 1991年9月16日、フィリピン上院周辺は、まるで独立宣言を行ったかのような熱気に包まれていた。この日、フィリピン上院は在比米軍基地存続を盛り込んだ「米比友好協力安保条約」を反対多数で否決したのである。採決に当り、ウィグベルト・タニャーダ(以下、W・タニャーダ)上院議員は声をからして訴えた。
 「最後のアメリカ軍機がわが領空から飛び去り、最後のアメリカ戦闘艦がわが水平線から姿を消す情景は、われわれを大いに奮い立たせるだろう。自らの運命を自らの手にする時がついにくるのだ」
 ウィグベルトの父で、一貫して在比米軍基地撤去のための運動を続けてきたロレンゾ・タニャーダ(以下、L・タニャーダ)元上院議員は、93歳という高齢で透析を受けていたが、「透析などいつでもできる。私はこの歴史的瞬間に立ち会いたいのだ」と、妻の反対を押し切って、車椅子で議場に現われた。
 こうして、フィリピンのスービック基地とクラーク基地から米軍は撤退した。対米追従派が強調しているように、その後中国はスプラトリー諸島(南沙諸島)など、この地域でのアメリカのプレゼンスの後退を埋める形で、そのプレゼンスを拡大したかに見える。しかし、在日米軍基地があるにもかかわらず、尖閣諸島問題は起きた。
いずれにしろ、民族自決を尊重する立場に立てば、在比米軍基地をそのまま置いておいた方がよかったとは言えない。 Continue reading “1991年9月16日─もう一つのフィリピン独立記念日” »