「ベニグノ・ラモス」カテゴリーアーカイブ

フィリピンの志士ベニグノ・ラモス関係資料①

 防衛省防衛研究所所蔵の「比律賓独立党首領ラモス氏歓迎茶話会に関する件」(昭和11年4月16日作成)には、昭和11年4月16日に開かれたフィリピンの志士ベニグノ・ラモス歓迎茶話会についての情報が記録されている。
「比律浜独立党(サクダリスタ党)首領ラモス氏の歓迎茶話会を四月十五日正午ヨリ当協会に於て開催、中谷幹事より歓迎の挨拶 犬塚理事よりラムス氏の紹介ありて後ラムス氏より比律浜独立運動情勢につき説明あり、種々懇談を交換して三時半散会した」とある。
(PDFデータは、アジア歴史資料センターのサイトからダウンロードしたDjVuデータをもとに作成したもの)

志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪

「日本人としてもっとも銘記すべき悲劇の英雄であり、日本人が花束をささげて、永遠にその友情を忘れてはならない人物だと信ずる」
一九七一年に葦津珍彦先生は、フィリピンの志士ベニグノ・ラモスについてこのように書いた(『新勢力』)。
ラモスの人生を大きく変える事件は、一九三〇年に起こった。マニラ・ノース・ハイスクールに勤めていた、あるアメリカ人女性教師が、フィリピン人は「バナナ食いの猿のようなものだ」と侮蔑的発言をしたことが発端だ。この発言をきっかけに、市内のいくつかの高校の生徒が一斉に同盟休校し、世論が沸き立った(『アキノ家三代 下巻』)。
当時、フィリピンはアメリカの植民地だった。ラモスは、沈静化を図ろうとするマニュエル・ケソン上院議員に楯突き、官界を自ら去り、対米独立闘争の先頭に立つことを決意した。彼はフィリピン人エリート層がアメリカの権力に阿り、フィリピン民衆の利益を擁護できていないと主張、対米要求に弱腰のケソン指導部を攻撃し、即時、絶対、完全独立を要求した。また、農民の貧困問題の解決を訴えた。 Continue reading “志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪” »