「来島恒喜」カテゴリーアーカイブ
今こそ興亜論に目覚めよ!─『大東亜論 巨傑誕生篇』刊行の意義
烈士来島恒喜の墓参(平成24年10月18日)
来島恒喜─わが国の自主独立のために捧げられた命
以下、『維新と興亜に駆けた日本人』に収録した来島恒喜の評伝です。
高場乱から叩き込まれた志士の生き様
来島恒喜の壮絶な最期は、玄洋社をはじめとする志士たちに極めて大きな影響を与えた。彼の行動を支えていたのは、先天的な精神力とともに、若き日に受けた教育と凄まじい体験にほかならない。
来島は、安政六(一八五九)年十二月三十日、福岡の薬院(現福岡市中央区)で生まれた。父左衛門は武術に長じた古武士風の人物であった。少年時代の来島は、相撲をとることを好み、近所ではガキ大将として知られていた。いつも丹褐色の袴をはいていたので、友人たちは来島がやって来ると「赤袴が来たー」と叫んだという。
習字を金子善作に、四書五経を郷儒大久保正名に、さらに経史(経書、史記)を、朱子学の大家、海妻甘蔵に学んだ。海妻は、宗像郡山田村で私塾「教義塾」を開き、多くの少年を育てた人物である。 続きを読む 来島恒喜─わが国の自主独立のために捧げられた命