「来島恒喜」カテゴリーアーカイブ

今こそ興亜論に目覚めよ!─『大東亜論 巨傑誕生篇』刊行の意義

 年明け早々に、小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論 巨傑誕生篇』を入手、一気に読んだ。
 戦後の言論空間で封印された興亜論、大亜細亜主義思想を漫画にした意義は極めて大きい。特に、不平等条約に反対して命を捨てた来島恒喜烈士の壮絶な生きざまは、史実に基づきつつ、巧みなイマジネーションをも駆使して描かれていると感じた。頭山満翁についても同様だ。
 若い世代の人が本書をまず読み、この問題に関心を抱くことを期待する。

烈士来島恒喜の墓参(平成24年10月18日)

 本日(平成24年10月18日)、烈士来島恒喜の墓参を済ませ、谷中のたんぴょう亭にて開かれた呉竹会評議員会にオブザーバーとして参加しました。
四宮正貴先生が来島についてお話されました。明治維新から第二維新へと連なる歴史の流れ、欧化の矛盾の象徴としての列強との不平等条約。外相大隈重信の条約改正に抵抗した頭山満翁の動きなど、来島の一撃に至る歴史背景等々、大変貴重なお話を伺うことができました。
なお、来島の墓所は、谷中霊園の乙10号17にあります。

来島恒喜─わが国の自主独立のために捧げられた命

以下、『維新と興亜に駆けた日本人』に収録した来島恒喜の評伝です。

高場乱から叩き込まれた志士の生き様

来島恒喜の壮絶な最期は、玄洋社をはじめとする志士たちに極めて大きな影響を与えた。彼の行動を支えていたのは、先天的な精神力とともに、若き日に受けた教育と凄まじい体験にほかならない。

来島は、安政六(一八五九)年十二月三十日、福岡の薬院(現福岡市中央区)で生まれた。父左衛門は武術に長じた古武士風の人物であった。少年時代の来島は、相撲をとることを好み、近所ではガキ大将として知られていた。いつも丹褐色の袴をはいていたので、友人たちは来島がやって来ると「赤袴が来たー」と叫んだという。

習字を金子善作に、四書五経を郷儒大久保正名に、さらに経史(経書、史記)を、朱子学の大家、海妻甘蔵に学んだ。海妻は、宗像郡山田村で私塾「教義塾」を開き、多くの少年を育てた人物である。 続きを読む 来島恒喜─わが国の自主独立のために捧げられた命