「『維新と興亜に駆けた日本人』」カテゴリーアーカイブ

肇国の理想を現代において実現しようとした先駆者

 筆者が『維新と興亜に駆けた日本人』で取り上げた人物は、(ちょう)(こく)の理想を現代において実現しようとした先駆者である。彼らは、幕末から明治・大正期を中心に活躍した。わが国が西洋列強に対峙したこの時代、肇国の理想に添って生きるとは、維新の続行・貫徹と興亜に尽くすことを意味したのではないか。彼らは欧米型の外交路線に抗い、藩閥支配、有司専制に対して民権を唱え、国権、自主独立の立場から列強との不平等条約に異を唱えた。興亜の立場から列強の帝国主義路線とは異なるアジア合邦を模索する一方、列強の植民地支配から脱しようとするアジアの民族独立運動を支援した。より具体的に言えば、朝鮮開化派のリーダー金玉均、辛亥革命を成功させた孫文、インドの志士ビハリ・ボースらを支援した。
 彼らの中には、国体に合致した経済のあり方を模索し、大化の改新以来の王土王民論・奉還論によって資本主義の克服を目指した者も少なくなかった。 続きを読む 肇国の理想を現代において実現しようとした先駆者

頭山満─維新・興亜陣営最大のカリスマ

南洲の魂を追い求めて─終生の愛読書『洗心洞箚記』

大正十年秋、後に五・一五事件に連座する本間憲一郎は、(とう)(やま)(みつる)のお伴をして、水戸の那珂川で鮭漁を楽しんでいた。船頭が一尾でも多く獲ろうと、焦りはじめたときである。川の中流で船が橋に激突、その衝撃で船は大きく揺れ、船中の人は皆横倒しになった。そのとき、頭山は冬外套を着て、両手をふところに入れていた。
「頭山先生が危ない!」
本間は咄嗟に頭山の身を案じた。川の流れは深くて速い。転覆すれば命にかかわる。
ところが、本間が頭山を見ると、頭から水飛沫を被ったにもかかわらず、ふところに手を入れたまま、眉毛一つ動かさず悠然としている。驚きもせず、慌てもせず、いつもの温顔を漂わせていたのである。「これが無心ということなのか」。
この体験を本間は振り返り、頭山が大塩平八郎の心境に到達していたものと信じていると書き残している。大塩は天保三(一八三二)年、中江藤樹の墓参の帰り、琵琶湖で暴風に遭い、転覆の危機に直面した。このときの教訓を大塩は、その講義ノート『洗心洞箚記』に記している。 続きを読む 頭山満─維新・興亜陣営最大のカリスマ

明治期興亜論と崎門学─杉田定一の民権論と興亜論

近世国体論の発展において極めて重要な役割を果たした、山崎闇斎を源流とする崎門学派は、明治維新の原動力となった。その維新の貫徹と興亜論に崎門学派が与えた影響もまた、極めて大きい。
拙著『維新と興亜に駆けた日本人』において、明治17年8月に上海に設置された東洋学館に、植木枝盛らとともに参画していた人物として杉田定一の名を挙げた(146頁)が、杉田こそ崎門学の系譜に当たる人物として注目すべきことがわかった。
杉田は、嘉永4(1851)年6月2日に越前国坂井郡波寄村(現在の福井県福井市)で生まれた。明治8(1875)年、政治家を志し上京、『采風新聞』の記者として活動、西南戦争後は自由民権運動に奔走した。彼の自由民権思想は国体思想と不可分であったし、また彼の興亜思想もまた国体思想に支えられていたと推測される。熟美保子氏は「上海東洋学館と『興亜』意識の変化」で杉田は興亜論を、概要次のように説明している。
杉田は、東洋学館開校1年前に「興亜小言」、それを修正した「興亜策」を著していた。これらの中で、杉田は、欧米は自由を求める国といいながらも実際にはアジアの自由を奪っていると非難し、「自由の破壊者」と批判している。また、アジアの現状について、それぞれがバラバラであり、互いに助け合うという事がなく、欧米人に侵略されつつある状況を嘆いている。そして、日本と清国の関係について「唇歯相依輔車相接スル」と記述していた。
こうした主張を展開した杉田は、三国滝谷寺の道雅上人とともに、崎門学派の吉田東篁(とうこう)に師事していたのである。近藤啓吾先生の『浅見絅斎の研究』は、以下のような杉田の回顧談を引いている。
「道雅上人からは尊王攘夷の思想を学び、東篁先生からは忠君愛国の大義を学んだ。この二者の教訓は自分の一生を支配するものとなった。後年板垣伯と共に大いに民権の拡張を謀ったのも、皇権を尊ぶと共に民権を重んずる、明治大帝の五事の御誓文に基づいて、自由民権論を高唱したのである」

『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2012年7月)─評者・山下英次氏/『新国策』

書評
真の「独立」について再考を促す書

坪内隆彦著『維新と興亜に駆けた日本人─今こそ知っておきたい二十人の志士たち』(展転社、二〇〇〇円)

評者 山下英次■大阪市立大学名誉教授

 本書は、藩閥政治によって、損ねられていた明治維新の建国の理想を取り戻そうとして活動したわが国の主要な思想家二十人を紹介することを通じて、独立心を持った本物の日本人像を浮かび上がらせようとしたものである。具体的には、西郷隆盛、副島種臣、杉浦重剛、頭山満、植木技盛、陸羯南、荒尾精、岡倉天心、近衛篤麿、杉山茂丸、宮崎滔天、内田良平、等々の志士たちが取り上げられている。

 著者が、これらの志士たちが共通して持っている思想上の信念としてみているのは、以下の三点と思われる。第一は、明治維新後の行き過ぎた西洋かぶれ路線を修正し、外交の主体性を取り戻す。第二に、そのためには、日本は興亜に尽くすべきである。第三に、国学、陽明学、崎門学、水戸学など江戸期以来の国体思想を継承する。

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『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2012年3月28日)─評者・杉原志啓氏/『欠陥政党民主党』

評者・杉原志啓氏/『欠陥政党民主党』(撃論+、オークラ出版、3月28日)ブックレビュー

硬軟織り交ぜた良書3冊
「(前略)いまひとつ、逆に若い知識青年へ大推薦の坪内隆彦『維新と興亜に駆けた日本人』は、幕末から明治・大正期にかけて活躍した愛国者たち二十人の、いわばコンパクトな評伝選とでもいうべき硬派一徹の著作だ。ポイントは、当該期における誰でも知っているビッグ・ネームが西郷南州(隆盛)ひとりで、他は松村介石、荒尾精一等、一般にあまりなじみのない顔触れが採りあげられていること。そして、それぞれの源泉に「国学、陽明学、崎門学、水戸学」など「国体思想」の通貫を明らかにしていることで、最新資料を駆使しているところは学術的にも◎だ。
例えば自由民権連動の理論家として知られる植木枝盛の項で著者はいう。かれの評価は「一面のみが強調されてきた」。しかし、植木が「民権論と国権論を同時に唱え、かつ独自の興亜論を展開したことを忘れてはならないと。「興亜論」が実にしかりだ」

『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2012年1月30日)─評者・松枝智瑛氏/『神社新報』

【新刊紹介】『維新と興亜に駆けた日本人 今こそ知っておきたい二十人の志士たち』坪内隆彦著 独立と興亜に尽力 志士たちの評伝集
『神社新報』平成24年01月30日付、6面
(前略)
坪内隆彦氏の『維新と興亜に駆けた日本人 今こそ知っておきたい二十人の志士たち』は、維新期から明治の御代にかけて、我が国の独立とアジアの復興のために一身を擲って尽力した人々の評伝集である。本書で取り上げる二十人とは、西郷南洲(隆盛)、副島種臣、大井憲太郎、樽井藤吉、杉浦重剛、頭山満、岩崎行親、植木枝盛、福本日南、陸羯南、荒尾精、松村介石、来島恒喜、岡倉天心、近衛篤麿、今泉定助、杉山茂丸、権藤成卿、宮崎滔天、内田良平だが、今では忘れられた名も少なくない。
しかし、彼らが命を賭してそれぞれの務めに邁進したからこそ、我が国の精神の命脈が保たれたことは、後の歴史が証する通りである。
二十人の業績や相貌、その時代背景等については本書各節を精読いただきたい。それらの記述からは、国家の大業に立ち向かった人々の激しい息づかひが聞こえてくるに違ひない。そして、己の胆力と知力の限りを尽くして闘った彼らの足跡を、我々はいつしか畏敬の念をもって仰ぎ見ることだらう。
(後略)
〈2100円、展転社刊。ブックス鎮守の杜取扱書籍〉
(近現代史研究家・松枝智瑛)

『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2012年1月15日)─『青年運動』

本書「維新と興亜に駆けた日本人」は、肇国の理想の実現、すなわち「維新の貫徹」を、近代においてさまざまな形で追求した二十人の日本人たちの評伝集である。興亜主義を維新の一環として捉え、特に興亜の志士たちを大きく取り上げている点に本書の稀有な特色がある。
登場人物たちは、西郷隆盛を皮切りに、思想家・ジャーナリストから民族運動家まで、その生涯から思想的背景に至るまで、幅広い視野で論じられている。視点は一貫していて、彼らの評伝を通じて、維新とは何か、維新の実践とは何かについての考察が重ねられていく。本書の最大の読みどころのひとつは、こうした、明治維新にとどまらずに通史的な視点で維新というものを捉える、我々の生きる「現代」にも応用可能な射程の広い維新観である。翻って現代、時代の危機が深まるにつれて、維新という言葉がずいぶんと安く流通するようになったが、本来維新とはいかなるものを意味するのかを再考する上で、本書は最良の導き手であるといってよい。
本書はまた、「日本国体思想史」としても読める。明治維新の原動力となった国体の思想は本書の登場人物たちの思想的背景となっているため、その概要が本書の序論でわかりやすく解説されている。さらに、その近代に於ける先駆者たちの思想・実践が十分に著されているので、近代までの日本国体思想史を概観できることになる。今泉定助のような一般にあまり知られていない思想家が紹介されているのもポイントだ。これだけでも、かかる思潮に関心を持つ読者にとって大いに参考になるであろう。
さて、著者の坪内氏は本書の登場人物たちを「先駆者」として捉える。つまり、単なる「過去の偉人」としてではなく、「我々現代人の先達」として、である。坪内氏は慨嘆する。「私利私欲を優先させ、長いものに巻かれ、行動する勇気を持たない。国家の理想を描かず、愛国心を持たず、ただ強い国に阿る。そのような政治家や言論人は、決して本物の日本人ではない」。さらに、「本来の日本人の生き様が再認識され、そのような日本人によって、再びわが国が指導される日が来ることを願ってやまない」と結ぶ。
我が身を省みていかがであろうか。多くは語るまい。
しかし、いかなる立場にある人であっても、我々一人ひとりが明日の日本を作る担い手である以上、我々一人ひとりが本書から学ぶべき点は多い。一人の日本人として、鑑としての先達の営みを是非とも知っておきたいところだ。評者:呉竹会青年部 冨田 開平氏(『青年運動』平成24年1月)

『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2011年12月25日)─評者・松橋直方氏/『不二』

〈図書紹介〉坪内隆彦著『維新と興亜に駆けた日本人』
 本書は『月刊日本』誌上の連載がもととなつた、明治を中心に活躍した志士たちの列伝である。簡にして要を得た人物紹介として極めて貴重なものであり、多様なソースからの情報が集約されてゐて教へられるところが非常に多い。個人的には副島種臣の本田親徳との交渉や、渥美勝に執筆の場を提供した松村介石の事績の紹介などに、意表を突かれて感服した。志士たちの系譜学として、これは間違ひなく必読の一書である。
 他方において、本書は系譜学を検証する基準とすべき原理の問題について、様々に考へさせる本でもある。開巻劈頭で坪内氏はつぎのやうに述べてをられる。 続きを読む 『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2011年12月25日)─評者・松橋直方氏/『不二』