「儒教」カテゴリーアーカイブ

『日中韓思想家ハンドブック 実心実学を築いた99人』

実心実学とは
 西洋近代の行き詰まりが明確になる中で、アジア各国の思想家の遺産を共有することが重要な課題となっている。
 こうした中で、2015年に『日中韓思想家ハンドブック 実心実学を築いた99人』(勉誠出版)が刊行された。編纂したのは、小川晴久氏、中国の張践氏、韓国の金彦鍾氏である。
 99人には、頼山陽、吉田松陰、橋本左内、西郷隆盛らの日本人、朱舜水、王陽明、康有為、孫中山(孫文)、梁啓超、章太炎らの中国人、金玉均らの開化派を育てた金正喜、朴珪寿らの韓国人らが含まれている。
 ただし、本書で紹介された99人は、実心実学者として括られている。巻頭言で述べられている通り、「実学」は近代以後には実用の学、テクニックの学ととらえられているが、近代以前には、実心(自然への畏敬、真実への愛、自己修養)を重視する実心実学であった。小川氏は次のように書いている。
 
 〈とりわけ私たちが注目するのは十七・八世紀の自然哲学者、自然学者、百科全書派たちの実心実学である。それは「天人」型実心実学と規定できる。彼らの学は十一世紀の中国の張載(張横渠)の気一元の哲学を哲学基盤に持ちながら、目は広く天(自然、宇宙)に開かれていた。彼らにとって天は人(彼ら)が順うべき師であった。誠者天之道也、誠之者大之道也(『中庸』)。三浦梅園にとって誠とは倫理ではなく、自然の間断なき営みであった(「誠といふの説」)。二十一世紀以降の学問は十八世紀の「天人」型実心実学が模範となり、導きの糸となってくれると確信する。モラルとそのスケールに於いて。
 そしてこの時期の実学を発見し、国を挙げて営々と研究を続けてきたのが隣国朝鮮(南北朝鮮)である。一九一〇年前後から二〇年代、三〇年代にかけて、つまり日本による三十六年の朝鮮統治時代に朝鮮の知識人たちが、近代を志向し、民族意識に目覚めた新しい思潮(実学)として発見したのである。「実事求是の学風」(文一平)を持つ思想を。朝鮮は十六世紀末、秀吉による侵略(「壬辰倭乱」)を受け、十七世紀前半には満州族による侵略(「丙子胡乱」)を受けた。その打撃から立ち直り、疲弊した祖国を再建するために興った学問を二十世紀の知識人たちが、発見し、実学思潮と名づけたのである。民族意識に目覚め、近代を志向した学問とその本質を捉えたので、百年近く国を挙げて研究してきたのは当然である〉 Continue reading “『日中韓思想家ハンドブック 実心実学を築いた99人』” »

西本省三「之を如何、之を何如」より(『支那思想と現代』)

日本人自ら「如之何如之何」を繰り返すべき
 〈子日く「之を如何、之を如何と曰はざるものは、吾れ之を如何ともするなきなり」と、朱子之に註して「之を如何、之を何如とは、熟思して審かに慮するの辞なり、是の如くせずして妄りに行はゞ、聖人と雖も亦之を如何ともするなし」と。…日支は離して見ないで、渾一体に考へねばならぬものであからソレ丈け日本人は支那問題に対し、常に「如之何如之何」とて大に審慮して居るけれども、更らに天啓直示がないで支那はドーなるだらう、支那はドー経綸したら好いだらう云つてるのみである。支那人に「如之何如之何」と繰返さしむることを求むるよりも、先づ日本人が之を繰返し、上下心を一にし、王道を以て支那に臨み、徳を積むことの難有きを身体心得し、日支両国を永久に打算し、往々陥り易き小刀細工の策を罷むることにせねばならぬ、然らざれば百千の対支政策を建つるも、這は本を揣らずして其末を齊ふせんとするの類に過ぎない、何等の役に立たずして、益々日支の間を乖離せしむるのみである〉
(大正9年3月1日)

西本省三「大春秋と小春秋」より(『支那思想と現代』)

支那人の性情
 〈…支那の革命首脳者は、何れも…妥協、賄賂等を為し、彼の白耳義(ベルギー)借款を以て自ら「貪欲である」事を表示し、支那人の是等性情の変へられない点を能く曝露したではないか〉

小春秋時代の様相
 〈…春秋史を縦横に観察して、世界列国と照映し、吾人の所謂大春秋時代とも云ふべき今日の世界を見るに何れも正義人道又はデモクラシーを高調しつゝあれども、事実は之に反し、彼等の自私自利の行動は依然として絲毫も止まぬ様である、即ち小春秋時代の様に、大道癈れて仁義顕ると嗟嘆した老子の意識語と、同様な感を抱かずには居られEないのである〉
(大正9年2月23日)

西本省三「徳の力」より(『支那思想と現代』)

力より大なる徳
 〈要するに支那に於ける政府と国民、其政府と政党、其南と北、其中央と地方、其資本家と労働者、此等の対立関係を善くする者は、其オルガニゼーションを統率すべき人が、対立関係以外の力、即ち天下の道を行ふて心に得たる徳の性格を具へて居ることに在る、権力や愚民の力は乱を致すのみ、徳なるものは力の名はないが、力よりも大であるとは此処の事である〉

真の仁恕を以て眼目とする東洋
 〈然るに吾人は当地に寓居せる支那学者沈子培翁を訪ひ、談故釈宗演師と沈翁の欧州戦評に及び、其時宗演師欧戦を看る如何と問ひしに対し、沈翁が「仁ありて恕なし、但し所謂仁は我東洋の仁の一端のみ」と答へたのを想起し、西洋の仁を我仁の一端とし、恕なしとせる所を称し、欧州戦は約めて云へば各国の争覇戦にあらずやと云ふや、翁は然り然りとて盛んに其然る所以を説き…我東洋は之に反し、所謂天人合一の平等境に立てる高遠なる天地観、人生観を以て直ちに之を政治に体現せる国柄で、真の仁恕を以て眼目として立つて居る、即ち孟子が「舜は庶物を明かにし、人倫を察す、仁義に由りて行ふ、仁義を行ふにあらず」と云つて居る如く、東洋は仁義已の心に根し行ふ所皆此より出づてふ徳政で、仁義の為めの仁義で組織された国柄でない、西洋の如く圧迫や抵抗や破壊で構成された国家社会ではなひ即ち争ひを以て終始した国家社会ではない、トテも正義人道を粉飾し帝国主義を排し、事実武力的経済的帝国主義を行ふ様な国柄とは比較にならない〉
(大正9年2月23日)

西本省三「礼教の国」より(『支那思想と現代』)

滅亡を救った礼教
〈支那が夷狄から亡ぼされても、兎も角世道を維持し得て来たことは決して忘るゝ事は出来ぬ、若し支那に礼教がなかつたなら、支那は滅種の禍を見たかも知れない。滅種の禍を免れたのは、全く礼教の御蔭だとせねばならぬ〉
〈夫れ世界は物質文明大に発達し、諸般の事業愈盛んなるに連れ、貧富の懸隔愈甚しく、今回の欧州戦争の禍患は前古未曾有で、今日の過激派や労働問題の害は早や頂点に達して居る、而して通貨が膨張して物価が騰貴し、人民は生活難に苦んで居る、今日民の此難を救ふに何の法かある。所謂経済学者や所謂財政通の頭ではトテモ想起せらるゝものでなから〉

大道において日本と一致する支那

〈皇祖皇宗国を建つること宏遠に、徳を樹つること深厚なる君民合一の道徳的政体の下に立つ吾人は大道に於て吾国と一致せる支那が其最も大切なる礼教の国の名を顧みずして、徒らに欧米権利の国を真似んとして止まないのを深く遺憾とせざるを得ない〉
(大正9年2月9日)

ライプニッツと儒教①─五来欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』

 五来欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』(早稲田大学出版部、昭和4年)で、ライプニッツに対する儒教の影響について論じている。
 五来は、ライプニッツ全集第十巻の「教養ある善意の人に対する手記」の以下の部分を引用する。
 〈私の為に、私は形而上学及び道徳のこの大原理を置く。即ち世界は可能的なる完全なる知識に依つて支配されて居る。従つてこの世界を以つて世界的王国と見倣し、その首長は全能にして且つ最高の聖智を有し、その臣民は総べて精神である。換言すれば、知識に「適当し、又神と共に社会を作るに」適当する総べての実体である。而してその他のものは神の光栄と精神の幸福を来す可き手段に過ぎない。従つて全宇宙は精神の最も可能的に大なる幸絹に貢献することが出来る〉
 〈前者より更に他の純粋に実践的なる原理が出て来る。精神は善意を有し、神の光栄即ち共同の幸福に貢献すべく努力するに従つて、彼等自身この幸福に與り得るであらう。若し彼等がこの貢献をせざれば、必らず罰せられるであらう。何となれば完全に良く支配されたる王国に於ては、如何なる内部又は外部の善き行も、之に比例したる報酬を受けざるものなく、その悪業も亦罰を受けざるものは無い。我等は理性のみの助けに依つて、その詳細を説明することは出来ない。又如何にしてそれが斯の如くなるかを知らない。殊に来世の場合を然りとなす。然しながら是が斯の如くあることは、疑ふ余地がないと言ふこと丈けで充分である〉 Continue reading “ライプニッツと儒教①─五来欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』” »

度会延佳『陽復記』テキスト 2 崎門学研究会 輪読用資料

 度会延佳の『陽復記』テキスト2。平重道校注(『日本思想体系 39 近世神道論 前期国学』岩波書店、86~117頁)。

『陽復記』上(86~87頁)
 此国常立尊より三代は一神づゝ化生(けしょう)じ給のよし、日本記に見え侍る。しかるを此三神は、易乾卦(けんのけ)の奇爻(きこう)を表してかくしるすならんと云人あれど、さにはあらず。我国のむかしより語り伝たる事の、をのづから易にかなふ故に、神書を撰べる人の易と附会したることばあり。日本の神聖の跡、唐の聖人の書に符を合せたる事はいかゞと思ふべけれど、天地自然の道のかの国この国ちがひなき、是ぞ神道なるべき。其後又三代*は二神づゝ化生じ給ふとなり。是を坤卦(こんのけ)の耦爻(ぐうこう)の三画に表ずるならんと云。此理は上にしるしぬ。国常立尊より第七代めにあたりて伊弉諾尊・伊弉冉尊二神出生し給。是を伊弉諾は乾卦三画成就、伊弉冉は坤卦三画成就にて、男女の体も定りぬるならんと云。をのづからかなふ*ところ深意あるものなり。此伊弉諾尊・伊弉冉尊夫婦となりて此国をうみ草木迄もうみ給と云。子細あり。あらはしがたし。其後此国のあるじを生んとて、天照大神を生給ふ。天照大神、御子の吾勝尊を此国にくだしたまはんとおぼしけれど、又其御子皇孫瓊々杵尊生れ給ふにより瓊々杵尊を下し給ひ、それより三代、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)に至り給ひぬ。此三神は易にをいては、内卦の三画、伊弉諾より吾勝尊まで三代は外卦の三画を表せるならむ。外卦は上、内卦は下なれば、乾の或(あるいは)踊て淵にありといふごとく、吾勝尊の此土にくだらんとしてくだり給はぬこそ、易道に少もちがふ処なけれと云人あり。誠にちがひはあるまじき事なれど、我国の神道に易道は同じと見るこそ忠厚の道ならめ。易道に神道は同じきといふは、いかゞと思ひ侍る。

*三代 埿土煮・沙土煮、大戸之道・大苫邊、面足・惶根の三代の諸神。これは、『日本書紀』に記されている。
*をのづからかなふ 自然に神道の伝えが儒教の易の理に一致すること。

『崎門学報』第4号刊行

 待望の『崎門学報』第4号が平成27年7月31日に刊行された。
 堅い内容ながら、日本を救う鍵がここにあると筆者は信じている。
 10カ月前の平成25年10月1日に創刊された同誌は、崎門学研究会(代表:折本龍則氏)が刊行する会報である。創刊号では、発行の趣旨について、折本氏が「いまなぜ崎門学なのか」と題して書いている。
 まず、山崎闇斎を祖とする崎門学の特徴を、「飽くまで皇室中心主義の立場から朱子学的な大義名分論によって『君臣の分』と『内外の別』を厳格に正す点」にあり、「主として在野において育まれ、だからこそ時の権力への阿諛追従を一切許さぬ厳格な行動倫理を保ちえた」と説いている。
 さらに、肇国の理想、武家政権による権力の壟断の歴史から明治維新に至る流れに触れた上で、戦後日本の醜態を具体的に指摘し次のように述べている。
 「我が国は、今も占領遺制に呪縛せられ、君臣内外の分別を閉却した結果、緩慢なる国家衰退の一途を辿っているのであります。
 そこで小生は、この国家の衰運を挽回する思想的糸口を上述した君臣内外の分別を高唱する崎門学に求め……闇斎の高弟である浅見絅斎の『靖献遺言』を読了し、更にはその感動の昂揚を禁ずること能わず、今日における崎門正統の近藤啓吾先生に師事してその薫陶を得たのでありました。最近では同じく崎門学の重要文献である栗林潜鋒の『保建大記』を有志と輪読しております」
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『月刊日本』連載「志士の魂を揺り動かした十冊」、『洗心洞箚記』へ

 平成24年に『月刊日本』の連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」を開始してからまもなく3年。八冊(山鹿素行『中朝事実』、浅見絅斎『靖献遺言』、山県大弐『柳子新論』、本居宣長『直毘霊』、蒲生君平『山陵志』、平田篤胤『霊能真柱』、会沢正志斎『新論』、頼山陽『日本外史』)を終え、5月号から大塩中斎『洗心洞箚記』に移ります。
 初回は、『洗心洞箚記』や大塩檄文に示された「万物一体の仁」にふれながら、天保8(1837)年の大塩挙兵に至る過程を描きました。
 昭和維新運動に挺身した中村武彦氏は大塩檄文を高く評価していました。
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易学相伝の根本とは─「潔静精微」

 『易』はその本文である経と、その註解・解説である十翼(彖伝・象伝・繋辞伝・文言伝・説卦伝・序卦伝・雑卦伝の総称)とが別になっているのが本来の姿だった。
 ところが、漢の費直が経を十翼によって解する立場から、彖伝・象伝・文言伝を抽いてこれを分ち、経の当該卦の後に移してしまった。
 本来、経と十翼とは、成立の時代が異なる。しかも、経と十翼はそれぞれ『易』に対する態度が異なる。両者を綜合調節するのは本来不可能なのである。
 ところが、費直の易「今易」が主流となっていき、もともとの易である「古易」は滅んでしまったのである。しかも、易を解釈に解釈する人が生きていた時代の思想風潮までもが流入していった。
 これを歎き、『易』を古易の姿に復するとともに、卜筮の書という本来の性格を取り戻そうとしたのが、朱子だった。彼は、「古易」姿に復し、卜筮の書としての視点から新たな註を加えて、『周易本義』を著した。 Continue reading “易学相伝の根本とは─「潔静精微」” »