「鬼倉足日公」カテゴリーアーカイブ

「皇教(すめらきょう)」の「教義・儀式・行事」


昭和21年4月8日に文部大臣に提出された教派設立届に基づき、すめら教の教義などを紹介する。
まず、「教義・儀式・行事」は以下のように定められている。
〈第三条 宇宙創造、万有展化、生成発展ノ根源にして其ノ本体タル絶対的絶対神格者『天之御中主神』が宇宙創化ノ為メノ自己内展ニヨリテ神生リマセル皇神集ヲ信仰ノ対象として『すめらぎノ御霊』トシテ奉斎シ其ノ御議ヲ以チテ神界ニ事始事依サシ給ヘル宇宙創化ノ神業『天津宮事』ヲ観ジテ天地ノ大道ナリト諦観シ其ノ原理原則コソ実ニ神々ニヨリテ示サレタル吾人々類ノの則ルベキ人生ノ至道ナリトシ其ノ『天津御手振』を吾人々類ノ原則生活トシ乏シキ神習ヒ本教管長ノ著作物ヲ以て教義トス
第四条 教憲ト原諦
(一)顕界(現実界)ニアリテハ我ガ『神ながら』ノ明徴広闡ニ精進シツヽ各人至心修養其ノ本然本有ノ真姿態ニ帰正シ原則生活ノ実践ニヨル表現トシテノ吾人ノ文化生活体系ヲ展開シ幽界(霊界)ニアリテハ宇宙創化ノ皇神等ニまつろひツヽ其ノ真実想ヲ諦観シ其ノ神業ニ息吹キ其ノ御手振ニ雄叫ビ霊界体一如、顕幽一体以テ地上ニ於ケル万民協和ノ真ノ文化境タル全世界ノ全平和ヲ理想トスル神ノ御国ヲ展開セシメムトス〉

鬼倉足日公とすめら教

青柳種信と辛島並樹

明治時代になって神祇伯は廃止され、白川家も子爵になった。やがて、第33代の白川資長の代で白川家は絶家となってしまう。しかし、伯家神道はいくつかのルートで伝承されていた。その1つが、第30代の雅寿王によって伝授された青柳種信のルートである。 続きを読む 鬼倉足日公とすめら教

本田親徳の古神道

神道霊学中興の祖

文政5(1822)年1月に薩摩藩で生まれた本田親徳(ほんだちかあつ)は、幼い頃から漢学と剣道を修業した。天保10(1839)年、17歳のときに京都に出て、その後江戸に移った。会沢正志斎に入門し、和漢の学を学んでいる。平田篤胤の家にも出入りしていたとされている。
京都に滞在していた天保14(1843)年、21歳のとき、狐憑きの少女に会い、憑霊状態で和歌を詠むのに衝撃を受け、霊学研究に入ったという。この「和歌を詠む」という点が、極めて重要なのではなかろうか。彼は、歌の機能に対する特別な思いを抱くようになったに違いないからである。
続きを読む 本田親徳の古神道