「本田親徳」カテゴリーアーカイブ

大本開祖出口なおと本田親徳の邂逅

 大本開祖出口なおの天職を見ぬいた人物こそ、本田親徳翁であった。大正9年に服部静夫が著した『大本教祖出口直子伝』(明誠館)には「本田親徳翁の眼識」と題して、次のように書かれている。
 〈今の綾部町皇道大本の境内の一部に石の御宮と称する一区画がある、これぞ綾部町字本宮坪の内の元屋敷で、刀自(出口なお)は其の昔其処にささやかなる茅屋を建てゝ、貧苦と戦つて生活をしてゐた、明治二十一年三月即ち刀自が神懸り以前の事であつたが、或る日所用のため隣郡船井郡鳥羽村はづれの八木島の手前まで差掛つた時、途上に異様の風をした一人の老翁と遭遇した事があつた、其の翁は不意に刀自に向つて最も荘厳な口調にて、先づ敬神の必要から説話し始め、刀自が変性男子の霊性を具備してゐることや、尚八人の子女の母であることまで看破して、後年必ず重大なる天職の任命が下る時期の来る事など淳々と述立られたので、最初刀自は奇意の思に駆られて、其の意の何たるかをを、半信半疑で其の返答にさへ煩つた、挨拶もそこそこ其の儘立ち別れて仕舞つた、此の異様の人物こそ後年に至つて実に本田親徳翁であつた事が判つた〉

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二

二、神からの贈り物と奉還思想
 「君臣相親みて上下相愛」する国民共同体を裏付けるものは、わが国特有の所有の観念である。皇道経済論は、万物は全て天御中主神から発したとする宇宙観に根ざしている。皇道思想家として名高い今泉定助は、「斯く宇宙万有は、同一の中心根本より出でたる分派末梢であつて、中心根本と分派末梢とは、不断の発顕、還元により一体に帰するものである。之を字宙万有同根一体の原理と云ふのである」と説いている。
 「草も木もみな大君のおんものであり、上御一人からお預かりしたもの」(岡本広作)、「天皇から与えられた生命と財産、真正の意味においての御預かり物とするのが正しい所有」(田辺宗英)、「本当の所有者は 天皇にてあらせられ、万民は只之れを其の本質に従つて、夫々の使命を完ふせしむべき要重なる責任を負ふて、処分を委託せられてゐるに過ぎないのである」(田村謙治郎)──というように、皇道経済論者たちは万物を神からの預かりものと考えていたのである。
 念のためつけ加えれば、「領はく(うしはく)」ではなく、「知らす(しらす)」を統治の理想とするわが国では、天皇の「所有」と表現されても、領土と人民を君主の所有物と考える「家産国家(Patrimonialstaat)」の「所有」とは本質的に異なる。 Continue reading “忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二” »

本田親徳の古神道

神道霊学中興の祖

本田親徳
 文政5(1822)年1月に薩摩藩で生まれた本田親徳(ほんだちかあつ)は、幼い頃から漢学と剣道を修業した。天保10(1839)年、17歳のときに京都に出て、その後江戸に移った。会沢正志斎に入門し、和漢の学を学んでいる。平田篤胤の家にも出入りしていたとされている。
京都に滞在していた天保14(1843)年、21歳のとき、狐憑きの少女に会い、憑霊状態で和歌を詠むのに衝撃を受け、霊学研究に入ったという。この「和歌を詠む」という点が、極めて重要なのではなかろうか。彼は、歌の機能に対する特別な思いを抱くようになったに違いないからである。
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